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伽耶(かや)は加羅(から)の現代韓国に於ける表記。また加羅諸国(からしょこく)は、3世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の中南部において、洛東江流域を中心として散在していた小国家群を指す。後述のように、広義の任那に含まれるが狭義の任那とは位置が異なる。以下、本文上は加羅で統一する。 == 呼称 == 414年に高句麗が建立した広開土王碑文にある「任那加羅」が史料初見とされている〔永楽10年(400年)条〕。 中国梁国の時の537年に蕭子顯が編纂した史書に南齊書よると、加羅國,三韓種也。建元元年,國王荷知使來獻。詔曰:「量廣始登,遠夷洽化。加羅王荷知款關海外,奉贄東遐。可授輔國將軍、本國王。 と記録されている。 倭国の後継国である日本で720年に成立した『日本書紀』では、加羅と任那が併記される〔『日本書紀』(720年成立)崇神天皇条から天武天皇条にかけて「任那」が多く登場する。欽明天皇23年の条には、加羅国(から)、安羅国(あら)、斯二岐国(しにき)、多羅国(たら)、率麻国(そつま)、古嵯国(こさ)、子他国(こた)、散半下国(さんはんげ)、乞飡国(こつさん、さんは、にすいに食)、稔礼国(にむれ)の十国の総称を任那と言う、とある。〕。 中国の史書では、『宋書』で「任那、加羅」と併記される〔438年条には「任那」が見え、451年条に「任那、加羅」と2国が併記〕。その後の『南斉書』、『梁書』、660年に成立した『翰苑』〔『翰苑』新羅条で「任那」が見え、その註(649年 - 683年成立)に「新羅の古老の話によれば、加羅と任那は新羅に滅ばされた」とある。〕、801年成立の『通典』〔『通典』辺防一新羅の条に「加羅」と「任那諸国」の名があり、新羅に滅ぼされたと記されている〕、『太平御覧』(983年成立)、『冊府元亀』(1013年成立)も同様の併記をしている。唯一、清代に編纂された『全唐文』に於いてのみ伽耶の表記が用いられている〔巻1000〕。 基本的には加羅と呼ばれる。「三国史記」新羅本紀の奈解尼師今6年(202年)条に「伽耶」という表記があるが〔上垣外憲一『倭人と韓人』 講談社学術文庫2003年,39-41頁〕、「三国史記」同14年(210年)条には「加羅」と表記されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伽耶」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gaya confederacy 」があります。 スポンサード リンク
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