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加藤千蔭 : ミニ英和和英辞書
加藤千蔭[かとう ちかげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [かげ]
 【名詞】 1. shade 2. shadow 3. other side

加藤千蔭 : ウィキペディア日本語版
加藤千蔭[かとう ちかげ]

加藤 千蔭(かとう ちかげ、享保20年3月9日1735年4月1日) - 文化5年9月2日1808年10月21日))は、江戸時代中期から後期にかけての国学者歌人書家。父は加藤枝直。姓を橘氏とすることから、橘千蔭とも称する。通称又左衛門常世麿芳宜園など。
== 概略 ==
歌人で江戸町奉行与力であった父・枝直の後をついで吟味役となったが、寛政の改革にあたり、1788年天明8年)町奉行与力を辞し、学芸に専念した。
若くして諸芸を学んだが、特に国学を賀茂真淵に学び、退隠後、師真淵の業を受け継ぎ、同じく真淵の弟子であった本居宣長の協力を得て『万葉集略解』を著した。
和歌については、千蔭の歌風は『古今和歌集』前後の時期の和歌を理想とする高調典雅なもので、村田春海と並び称され、歌道の発展に大きく貢献し、万葉学の重鎮として慕われた。門人に大石千引清原雄風窪田清音がいる。
またにも秀で、松花堂昭乗にならい和様書家として一家をなし、仮名書の法帖を数多く出版した。しばしば、江戸琳派の絵師酒井抱一の作品に賛を寄せている。
絵は、はじめ建部綾足に漢画を学んだが、その後大和絵風の絵画に転じた。
東京国立博物館には千蔭の木像(画像 )と、肖像画画像 )が残る。上部の自賛から、没する前年の6月に描かれ、長谷川貞忠(詳細不明)と渡辺広輝(阿波藩御用絵師住吉派の住吉広行の弟子)の作であることがわかる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「加藤千蔭」の詳細全文を読む




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