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加藤 幸四郎(かとう こうしろう、1910年 - 1992年)は、ロシア料理店スンガリーの創業者。音楽プロデューサー。 == 生涯 == 1910年、京都府にて津田幸四郎として生まれる。ハルピン学院出身。1935年に加藤淑子と結婚し、加藤姓を名乗る。満州国の特務機関員をしていたとの情報がある〔藤島桓夫と加藤登紀子の父 マーキュリーレコード - その19 〕。ハルビン交響楽団の事務局長を務める。 1945年の終戦の後、日本に帰国する。一時期、日本マーキュリーレコードに勤務する。マネージャーとして藤島桓夫の担当を担う。藤田まことの芸名の名づけ親となる〔藤島桓夫と加藤登紀子の父 マーキュリーレコード - その19 〕。美空ひばりのオーディションに立ち会うが、年少という理由で保留にし、美空ひばりの所属が日本コロムビアとなる〔藤島桓夫と加藤登紀子の父 マーキュリーレコード - その19 〕。 1957年、東京新橋にて、ロシア料理店『スンガリー』を創業する。『スンガリー』は、ハルピンにの川である松花江の満州語起源のロシア語表記 Сунгари による。当時の料理長は、白系ロシア人であり、ロシア人女性がウェートレスとして働いていた〔ヨコハマな日々 - スンガリー新宿東口本店 〕。1958年には、『スンガリー』は京橋に移転し、1960年には、新宿に移転することとなる。1965年、娘の登紀子のアマチュアシャンソンコンクールに、父親である幸四郎が書類を出す。加藤登紀子が優勝し、翌年に歌手デビューを果たす。1967年には、スンガリー新宿東口店が実現する。1972年、京都に『キエフ』をオープンさせる。『日本ロシア料理店協会』の設立に関わる。 1992年、82歳で死去する〔旧満州からの引き揚げ ~知床旅情秘話(7) 〕。遺骨は、『スンガリー』の名の起源である『松花江』に、散骨された〔旧満州からの引き揚げ ~知床旅情秘話(7) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加藤幸四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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