翻訳と辞書
Words near each other
・ 加藤康榮
・ 加藤康男
・ 加藤康祐
・ 加藤康裕
・ 加藤康起
・ 加藤康郎
・ 加藤康雄
・ 加藤廣
・ 加藤廣志
・ 加藤延夫
加藤建夫
・ 加藤弁三郎
・ 加藤弘
・ 加藤弘一
・ 加藤弘之
・ 加藤弘之 (テレビドラマ監督)
・ 加藤弘堅
・ 加藤弘晃
・ 加藤弘蔵
・ 加藤弘藏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

加藤建夫 : ミニ英和和英辞書
加藤建夫[かとう たてお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

加藤建夫 : ウィキペディア日本語版
加藤建夫[かとう たてお]

加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本陸軍軍人戦闘機操縦者。最終階級陸軍少将位階勲等従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校陸軍士官学校陸軍大学校(専科)卒。
太平洋戦争大東亜戦争)緒戦時、戦隊長として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率い、一式戦闘機「隼」をもって活躍した、帝国陸軍(陸軍航空部隊)のみならず日本軍を代表するエース・パイロットの一人。
== 来歴・人物 ==

=== 幼少期 ===
1903年(明治36年)9月28日、北海道上川郡にて屯田兵として京都から北海道に入植した父・鉄蔵、母・キミとの間に加藤家の末子(兄・農夫也、姉・貞)として誕生する。のちに父は日露戦争軍曹として従軍、奉天会戦にて戦死するも金鵄勲章を受勲し曹長となった。1918年(大正7年)9月、建夫は陸軍軍人だった父兄に倣い仙台陸軍幼年学校に入校。
兄・農夫也は陸軍士官学校を優等で卒業した逸材だったが、砲兵将校として陸軍砲工学校在学中の陸軍砲兵少尉時代に、流行性感冒(インフルエンザ)で早逝する。父親代わりとして弟妹に接し、家族思いだった優しき兄を亡くした事に建夫は酷く落ち込むが、幼年学校の生徒監の支えもあり大きく持ち直し、また後の自身の人格を深く形成する事となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「加藤建夫」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.