|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 加 : [か] 【名詞】 1. addition 2. increase ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 沢 : [さわ] 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale ・ 男 : [おとこ] 【名詞】 1. man
加藤 澤男(かとう さわお, 1946年10月11日 - )は、日本の新潟県五泉市(旧中蒲原郡村松町)出身の体操コーチ。白鴎大学教授。元・筑波大学教授。元・体操選手。メキシコ・ミュンヘン・モントリオールオリンピックの体操競技に出場し8個の金メダルを含む計12個のメダルを獲得した。モントリオールオリンピックでは日本選手団主将を務めた。 == 経歴 == 新潟県立新潟南高等学校から東京教育大学(現筑波大学)に進学。大学4年生の1968年メキシコオリンピック男子体操チームのメンバーに選ばれて以来、3大会連続でオリンピックに出場。1960年 のローマ大会から1976年のモントリオール大会まで続いた男子体操チームのオリンピック団体5連覇のうち、3大会でメンバーとして出場した。 1977年に引退、筑波大学コーチに就任。 自身がオリンピックで獲得した金メダルの数は8個に及び、これは日本選手としては最多の獲得数である。特に「個人総合」のオリンピック2連覇を達成した選手は、ソビエト連邦のビクトル・チュカリンと加藤澤男の2人のみである。 後輩の塚原光男、笠松茂が難易度の高いオリジナル演技を自ら開発、演技するのに比べ、加藤の演技は美しさを追求するものである。モントリオール大会における平行棒の演技では、フィニッシュの2回宙返りの最中でも、足の爪先を伸ばしたままの姿勢を維持していた。これは「体操の教科書」となる演技と言われ、このような美しさを追求した演技が、後輩の選手達にも大きな影響を与えている。 2000年のシドニーオリンピック時には、選手村内の道路の1つが「サワオ・カトー・ストリート」と名付けられた。選手名の冠がつけられたのはオーストラリアの27人と、その他の国から25人。アジア勢は加藤澤男ただ1人だった。 1993年に国際体操連盟の男子体操技術委員に就任。2012年12月の退任まで副委員長などを歴任しながら、採点規則の改定などに尽力する。 国内では1999年から筑波大学の教授に就任し、体操競技部の顧問を務める。2010年3月限りで筑波大を退職し、4月から白鴎大学教授に就任。2013年からは新公益財団法人としての日本体操協会の評議員を務める。(評議員の任期は2017年3月末まで) 1999年5月、国際スポーツ記者協会が選んだ「20世紀を代表する25選手」に日本人ではただ1人選出された。他にはペレ(サッカー)やカール・ルイス(陸上)、ナディア・コマネチ(体操女子)などが選出されている。2001年に国際体操殿堂入り。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加藤沢男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|