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小宮山 洋子(こみやま ようこ、本姓:加藤、1948年(昭和23年)9月17日 - )は、日本の元政治家、元NHK解説委員・アナウンサー〔。本名は、根岸 洋子。 衆議院議員(4期)、厚生労働大臣(第14代)、内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)、厚生労働副大臣(菅第1次改造内閣)、民主党財務委員長、参議院議員(1期)を務めた。元東京大学総長の加藤一郎は実父。 == 経歴 == 東京大学総長や成城学園学園長を歴任した加藤一郎の娘として東京都に生まれた。母方の祖父は大蔵大臣や初代大東亜大臣を務めた青木一男、父方の祖父は北海道銀行頭取を務めた加藤守一。愛媛県知事を務めた青木重臣は大叔父。 1972年、成城大学文芸学部国文科を卒業後、NHKにアナウンサーとして入局〔(同期に橋本大二郎)。スタジオ102・1億人の経済・ニュースセンター630のキャスター、NHKニュースワイド、国会中継、国会討論会・政治座談会などの番組制作を担当。1990年6月から1998年3月まで解説委員を務めた。 1998年3月にNHKを退職し〔、同年7月の第18回参議院議員通常選挙に民主党の比例区から立候補し当選。1期務め、参議院環境委員長等を歴任した。 2003年4月、参議院議員を辞職し、石井紘基死去に伴う衆議院補欠選挙に「石井の遺志を受け継ぐ」と述べ、東京6区から立候補し当選。同年11月の第43回衆議院議員総選挙でも小選挙区勝利で再選。直後の菅直人を首班とするネクストキャビネット法務大臣、2004年5月代表や首班が岡田克也となっても留任。 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、自民党新人の越智隆雄に小選挙区で敗れたが、比例東京ブロックで比例復活した。その後、衆議院青少年特別委員会委員長、党東京都総支部連合会副会長・会長代行(政策担当)を務めた。 2007年4月の東京都知事選に候補者として一時名前が取りざたされたが、不出馬の意向を表明した。 同年7月の第21回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区での民主党公認の、大河原雅子の選挙対策本部長を務め、大河原はトップ当選した。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙で、民主党公認(国民新党・NTT労働組合の推薦)を受け、小選挙区で越智を破り、4選。 2010年6月7日、民主党財務委員長に就任。9月、菅第1次改造内閣で厚生労働副大臣に就任〔。 2011年9月、野田内閣で第14代厚生労働大臣に就任。厚生労働省発足後、初の女性厚生労働大臣である(旧厚生省時代には、中山マサが厚相を務めている)。また、民主党政権の国務大臣では、初の女性衆議院議員である。 2012年4月、野田第1次改造内閣で内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)を兼務。12月16日投開票の第46回衆議院議員総選挙では、小選挙区で越智と4度目の対決となるが敗北、比例でも復活できず議席を失った〔小宮山元厚労相、比例復活ならず…東京6区 読売新聞2012年12月17日〕。 2013年1月24日、自身のホームページで政界からの引退を表明し、15年間の政治生活に幕を引いた。引退後は世田谷区から長野県軽井沢に移住し、小宮山洋子政策研究会代表を務める〔軽井沢に引っ越し|小宮山 洋子 オフィシャルブログ Powered by Ameba 2013年6月24日〕〔ピープル|軽井沢新聞社 Karuizawa,News Paper 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小宮山洋子」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yoko Komiyama 」があります。 スポンサード リンク
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