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加藤誠平 : ミニ英和和英辞書
加藤誠平[かとう せいへい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [まこと]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

加藤誠平 : ウィキペディア日本語版
加藤誠平[かとう せいへい]
加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 1969年5月7日)は、日本の林学者、造園家。森林利用学の分野で活躍、索道の技術研究、自然保養林制度制定にかかわり、また観光学や風景学、さらに橋梁学についても研究を重ねた人物。
== 人物 ==
東京生まれで、東京高等師範学校附属中学校を経て、1926年(大正15年)に旧制静岡高等学校卒業。中学校時代はサッカー部に在籍、高校時代には旅行部を創設した。大学時代はスキー山岳部に入り、後に部のバルトロ・カンリ遠征隊の隊長を務めた。1929年(昭和4年)東京帝国大学農学部林学科卒業。1931年(昭和6年)に大学院満期。同年に内務省衛生局に入る。1938年(昭和13年)に厚生省技師になり、のち内務省と兼務する。
1941年、母校に戻り講師となる。1944年助教授、1950年教授。1966年に定年、同年から名誉教授。1962年から国立公園候補地調査に関わるなかで、都道府県の観光診断の草分けとなる。東大林学科のほか土木工学科の、また東京農工大学名古屋大学新潟大学東京農業大学などの講師も兼務した。1957年に日本農学賞受賞。1962年、ベルリン大学客員教授として、日本の造園について講義を行う。
主な作品として、スターリング・フォレストガーデン内日本庭園(1960年、ニューヨーク州)、北海道・野幌森林公園塩田敏志らと)、比叡山の綜合観光開発(前野淳一郎らと。1958年)日産厚生園 (1943年)、上高地河童橋(2代目、景観設計)などがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「加藤誠平」の詳細全文を読む




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