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加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 1969年5月7日)は、日本の林学者、造園家。森林利用学の分野で活躍、索道の技術研究、自然保養林制度制定にかかわり、また観光学や風景学、さらに橋梁の美学についても研究を重ねた人物。 == 人物 == 東京生まれで、東京高等師範学校附属中学校を経て、1926年(大正15年)に旧制静岡高等学校卒業。中学校時代はサッカー部に在籍、高校時代には旅行部を創設した。大学時代はスキー山岳部に入り、後に部のバルトロ・カンリ遠征隊の隊長を務めた。1929年(昭和4年)東京帝国大学農学部林学科卒業。1931年(昭和6年)に大学院満期。同年に内務省衛生局に入る。1938年(昭和13年)に厚生省技師になり、のち内務省と兼務する。 1941年、母校に戻り講師となる。1944年助教授、1950年教授。1966年に定年、同年から名誉教授。1962年から国立公園候補地調査に関わるなかで、都道府県の観光診断の草分けとなる。東大林学科のほか土木工学科の、また東京農工大学、名古屋大学、新潟大学、東京農業大学などの講師も兼務した。1957年に日本農学賞受賞。1962年、ベルリン大学客員教授として、日本の造園について講義を行う。 主な作品として、スターリング・フォレストガーデン内日本庭園(1960年、ニューヨーク州)、北海道・野幌森林公園(塩田敏志らと)、比叡山の綜合観光開発(前野淳一郎らと。1958年)日産厚生園 (1943年)、上高地・河童橋(2代目、景観設計)などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加藤誠平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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