|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 加 : [か] 【名詞】 1. addition 2. increase ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 陽 : [よう] 1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1 ・ 三 : [み] 1. (num) three
加藤 陽三(かとう ようぞう、1910年1月 - 1989年6月5日〔『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』164頁。〕)は、日本の内務・警察・防衛官僚、政治家。元防衛事務次官、衆議院議員(2期)。海田町名誉町民。 == 経歴 == *1910年(明治43年)-広島県安芸郡海田町生まれ。 *広島県立広島第一中学校、第三高等学校卒業。 *1934年(昭和9年)-東京帝国大学法学部卒業〔加藤陽三(かとう・ようぞう)プロフィル 〕。 *4月-内務省入省。同期に古屋亨元自治大臣、斎藤寿夫元参議院議員、小宮賢一元日本都市計画学会副会長。 *: その後、内務省土木局、栃木県庁、厚生省社会局勤務〔。 *1943年(昭和18年)-内務省地方局勤務〔。 *1945年(昭和20年)-内務省調査部総務課長〔。 *: その後、内務省警保局公安第二課長、内務省企画課長。静岡県庁勤務〔。 *1950年(昭和25年)-国家地方警察本部総務部長〔。 *8月-警察予備隊本部人事局長〔。 *1952年(昭和27年)-保安庁長官官房長・人事局長〔。 *1954年(昭和29年)-防衛庁人事局長〔。 *1960年(昭和35年)-防衛庁長官官房長。 *1963年(昭和38年)-防衛事務次官就任。 *1964年(昭和39年)-辞職。 *1965年(昭和40年)-第7回参議院議員通常選挙全国区に自由民主党で出馬し、落選。 *1967年(昭和42年)-第31回衆議院議員総選挙広島2区から無所属で出馬したが、落選。 *1969年(昭和44年)-第32回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選。2期連続当選。 *1975年(昭和50年)-三木内閣防衛政務次官 *1976年(昭和51年)-第34回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。 *1979年(昭和54年)-防衛弘済会会長〔。 *1989年(平成元年)-死去。 *2004年(平成16年)-広島県安芸郡海田町名誉町民〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加藤陽三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|