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『助六』(すけろく)は、歌舞伎の演目の一つの通称。本外題は主役の助六を務める役者によって変わる(詳細は下記を参照)。 江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。 == 背景と題材 == 『助六』は歌舞伎の形式上「曾我もの」の演目。そのため侠客の助六が「実ハ曾我五郎」で、白酒売りは「実ハ五郎の兄 曾我十郎」という設定である。〔これは歌舞伎における「世界」の指定という、設定上の伝統的な決まり事であって、『助六』は実際の曾我兄弟の仇討ちを題材にしたものではなく、また史実の曾我五郎時致が花戸川助六のような痛快な色男だったという史料も伝承もない。〕 助六のモデルではないかと考えられている人物は三人いる。江戸浅草の米問屋あるいは魚問屋の大店に大捌助六(おおわけ すけろく)あるいは戸澤助六(とざわ すけろく)という若旦那がいたという説、京・大坂でその男気をもって名を馳せた助六という侠客だとする説、そして江戸・蔵前の札差で、粋で気前のいい文化人として知られた大口屋暁雨(おおぐちや ぎょうう)だとする説である。 このうち、史家の多くは第一の助六を否定する。その理由の一つが「助六」という名。これは上方でならありそうな名だが、江戸の「粋」の感覚からはどうにも野暮な名なのだという。 京坂の助六はというと、江戸の幡随院長兵衛と並び称されるほどの侠客だったという。これが総角(あげまき)という名の京・嶋原の傾城と果たせぬ恋仲になり、大坂の千日寺で心中したのが延宝年間のことであるという。ただし詳細は伝わらず、したがって異説も多く、助六は侠客ではなく大坂の大店・萬屋(よろずや)の若旦那だったとする説、総角は大坂・新町の太夫だったとする説、そして事件も心中などではなく喧嘩で殺された助六の仇を気丈な総角が討ったものだとする説など、さまざまである。 大口屋暁雨は実在が確認できる人物で、寛延から宝暦年間に江戸の芝居町や吉原で豪遊して粋を競った18人の通人、いわゆる「十八大通」の一人に数えられている。「暁雨」は俳名で、実の名を治兵衛(じへえ)といった。俳諧や書画骨董に通じた文化人で、たいそう気前も良かった。特に二代目團十郎の贔屓筋だったことから、彼の務める舞台ならどんなに客入りの悪い興行でも木戸札を買い上げてくれた。そうしたことから二人は親交を深めるようになり、江戸では次第に「團十郎の助六は大口屋を真似たもの」という噂が広まる。暁雨の方も助六そっくりの出で立ちで吉原に出入りし、「今様(いまよう)助六」などと呼ばれてご満悦だったという。どちらがどちらを先に真似たのかは不明だが、いずれにしてもこの頃から助六の鉢巻が大口屋の好んだ江戸紫に染め直されたという。 大口屋暁雨は、明治になると彼自身が歌舞伎の題材にされている。福地桜痴作の『侠客春雨傘』がそれで、主人公は「元は札差の大口屋の若旦那で治兵衛といったが、今ではその名もとどろく侠客・暁雨」という設定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「助六」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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