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勇之助(ゆうのすけ、生年不明 - 明治33年(1900年))は、越後国岩船郡板貝村(現在の新潟県村上市)出身の水主〔2009年10月11日付新潟日報 11面 『碑は語る』〕。 嘉永5年(1852年)9月2日、彼を含めて13人の乗った廻船『八幡丸』が択捉島から仕入れた塩マスなどを積み荷に、新潟を目指し松前(北海道)を出港した。この船の船主善太郎は勇之助と同じ村上の寝屋の出身であった。しかし翌日の夜に松前沖から、津軽海峡に差し掛かるところで強風により舵が折れてしまい、漂流することになった。積み荷の塩マスや貯めた雨水などで食いつないでいたものの、病気や飢えなどから次々と命を落とし、翌年の5月には彼を残した全員が死亡した〔。 しかし嘉永6年(1853年)6月17日、近くを通りかかったアメリカの商船エマ・パッカー号に助けられ、サンフランシスコを訪れた。サンフランシスコでは同じく難破してアメリカ船に助けられた浜田彦蔵がおり、彼とアメリカ人の間の通訳を行った。その後は船の倉庫番として働く傍ら英語を覚え、1年ほどをアメリカにて過ごし、結婚を持ちかけられたこともあったという〔。嘉永7年(1854年)6月、マシュー・ペリーが日本を訪れたのを聞き、商船レディー・ピアース号に乗り当時日米和親条約にて開港していた港の一つ下田港にて日本へと戻った。帰国後は厳しい取り調べを受けるが、下田奉行所の支配組頭であった伊佐新次郎は英語ができる彼に目をつけ通訳となることを持ちかけた。しかし彼はこれを断り故郷へと帰った〔〔勇之助のこと:開国後帰国漂流民第一号 河元由美子〕。 帰国後は、遭難前に1人の娘がいたものの、さらに妻との間に娘をもうけた。また、明治時代には八十吉と改名したが、キリスト教(ヤソ)の国であるアメリカを訪れたことからだといわれている〔。八幡丸の船主善太郎の故郷である、村上市寝屋の共同墓地には善太郎の墓の隣に八幡丸慰霊碑がある〔。 == 出典 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勇之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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