|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 勇 : [ゆう] 【名詞】 1. bravery 2. courage 3. heroism ・ 兵 : [へい] 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy ・ 兵団 : [へいだん] (n) army corps ・ 団 : [だん] 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe
日本陸軍の第2師団(だいにしだん)は、1888年(明治21年)5月14日に仙台鎮台を改編して宮城県仙台区(翌年より仙台市)に設立された師団である。1945年(昭和20年)の陸軍解体まで、日本の主要な戦争に参加した。 == 歴史 == 初代師団長は最後の仙台鎮台司令官佐久間左馬太。創設時の所属連隊は仙台の歩兵第4連隊、青森の歩兵第5連隊(1897年(明治30年)10月に第8師団に所属変更)、新発田の歩兵第16連隊、仙台の歩兵第17連隊(1898年(明治31年)に第8師団に所属変更後、秋田に移る)で構成された。のち、1898年(明治31年)に歩兵第29連隊が加わり、以後、前記の3個連隊で運用された。 創設の半年前にあたる1887年(明治20年)12月15日、日本鉄道第三区線(現JR東北本線)の仙台駅や塩竈駅(後の塩釜線・塩釜港駅)が開業し、仙台区(現仙台市)は外港である塩釜港、あるいは、東京府(現東京都)と鉄道で結ばれ、出兵の際の輸送路が確保された。 創設後は、日清戦争の威海衛攻略に参加。日露戦争では黒木為楨率いる第1軍隷下で九連城攻撃・遼陽会戦・沙河会戦・奉天会戦に参加する。遼陽会戦では弓張嶺の夜襲と呼ばれる師団規模の夜襲を敢行、(ただし、これは師団長の独断で行われた作戦で、命令違反だった。)以後、「夜襲の仙台師団」の異名を取った。 1910年(明治43年)4月8日、師団司令部は韓国駐箚のため仙台を経ち、同日、師団司令部留守部を設置〔『官報』第8043号、明治43年4月18日。〕。1912年(明治45年)4月24日、師団司令部が朝鮮より仙台に帰着し留守部を閉鎖〔『官報』第8654号、明治45年4月27日。〕。1918年8月22日、兵器部が師団司令部内に移転し事務を開始〔『官報』第1821号、大正7年8月27日。〕。 1931年(昭和6年)からは満州に駐屯し、以後満州事変・盧溝橋事件に参戦し、支那事変ではチャハル作戦・徐州会戦にあたる。太平洋戦争では南方に投入され、緒戦は蘭印で快勝するがガダルカナルでは7000名を越す損害を出す。その後マレー・シンガポール方面の警備を担当、1944年(昭和19年)からはビルマ戦線に参戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第2師団 (日本軍)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 2nd Division (Imperial Japanese Army) 」があります。 スポンサード リンク
|