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勝元鈍穴 : ミニ英和和英辞書
勝元鈍穴[かつもと どんけつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [なまくら]
  1. (adj-na) (uk) blunt 2. dull
: [けつ, あな]
 【名詞】 1. (col) ass 2. arse 3. buttocks

勝元鈍穴 : ウィキペディア日本語版
勝元鈍穴[かつもと どんけつ]
勝元 鈍穴(かつもと どんけつ、文化7年6月15日1810年7月16日) - 明治22年(1889年4月9日)は、幕末から明治前期の作庭家。近江国出身。
==略歴==
文化7年(1810年)近江坂田郡勝村(現滋賀県長浜市勝町)に生まれ、は子接、通称は源吾と称した〔「近江の先覚」(滋賀県教育会 1951年)〕〔「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会編 大和書房 1984年)〕。勝村は勝海舟の勝家発祥の地とされる〔「海舟傳稿」(海舟会 1975年)〕。茶道遠州流中興の立役者と言われる坂田郡国友村辻宗範の門人となり、茶道・南画和歌・築庭などを学んだ。茶道では宗益、南画では蘭谷または蘭岳、築庭では鈍穴と号し、茶道・南画・俳句・和歌・狂歌華道礼法・築庭から医術に至るまで諸道に通じ、人格高潔で、また芸術的天才の面を大いに発揮したと伝えられている〔〔。中でも、特に築庭に才を発揮した。
30歳の頃、東は常陸・西は丹波・北は加賀・南は河内を遊歴し、その間に頼まれるままに527箇所の庭園を築いたとされる。晩年は、神崎郡五個荘町金堂(現東近江市五個荘金堂町)に定住し、明治22年(1889年)に没した。終生独身であったため子孫はいないが、育成した門弟は数千に及ぶと言われ、著書『造庭伝』3巻は、築庭における貴重な文献と今なおされている。長浜市や神崎郡・蒲生郡の旧家・社寺の庭園には、勝元鈍穴が築いた庭が今もあり、俗に「鈍穴の庭」といわれている〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝元鈍穴」の詳細全文を読む




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