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勝又清和 : ミニ英和和英辞書
勝又清和[かつまた きよかず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [また]
  1. (adv,conj,n) again 2. and 3. also 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 

勝又清和 : ウィキペディア日本語版
勝又清和[かつまた きよかず]

勝又 清和(かつまた きよかず、1969年3月21日 - )は、将棋棋士石田和雄九段門下。棋士番号は215。神奈川県座間市出身。東海大学理学部数学科卒。
== 棋歴 ==
1983年に第8回中学生名人戦で優勝〔第8回中学生名人戦には勝又のほか、中川大輔畠山成幸兄弟も出場していた(「将棋世界」2000年1月号付録より)。〕。その年に奨励会に入会。
1級までは順調に昇級したが、そこからの各昇段に2年以上ずつかかり、22歳でようやく三段に昇段する。しかし、三段リーグでも昇段のチャンスをつかめず、一時は退会も考えた〔「将棋世界」2000年1月号付録〕。年齢制限(26歳)も迫っていた。
転機となったのは、第52期(1994年度)名人戦七番勝負を戦う米長邦雄名人羽生善治四冠の闘志あふれる姿を見たことだった〔。勝又は同年度4月 - 9月の第15回三段リーグでは昇級を逃すも、リーグ表順位で勝又より下の近藤正和と同星の12勝6敗の成績を収める。これが結果的に大きかった(次回のリーグ表で、勝又は3位、近藤は4位)。勝又は次の第16回三段リーグ(1994年度10月 - 3月)の最終日を、2局のうち1局勝てば自力昇段(「マジック1」に相当)という状況で迎えた。近藤は2勝0敗で追い上げたが、勝又は1敗の後に1勝して近藤と同じ13勝5敗。よって、勝又が四段昇段を決めた(1995年4月1日付けで昇段・プロ入り)。このときの同時昇段者(トップ通過)は、勝又よりさらに年上の北島忠雄(29歳)であった〔北島は1980年入会の為、四段昇段の年齢制限は31歳。〕。
第30回(1996年度)早指し将棋選手権の予選を4連勝で通過。本戦では2回戦進出。
第9期(1996年度)竜王戦6組の準決勝で敗れるも、昇級者決定戦(敗者復活)で北浜健介に勝ち、竜王戦初参加にして5組昇級。
第57期(1998年度)C級2組順位戦で、9勝1敗(47人中2位)の成績を収め、行方尚史(10勝0敗・1位)、木村一基(9勝1敗・3位)とともにC級1組に昇級。翌年度の第58期C級1組順位戦で降級点を喫するが、すぐ第59期に8勝2敗と勝ち越して消去に成功。
第8期銀河戦(1999 - 2000年)でブロック戦を抜け、本戦ベスト8に進出。
第74期(2003年度)棋聖戦で最終予選リーグ進出。
第17期(2004年度)竜王戦5組で準優勝し、4組へ昇級。
第56回(2006年度)NHK杯戦で予選を通過し、本戦初出場。本戦では1回戦で井上慶太を破り、2回戦進出。
第79期(2008年度)棋聖戦で2度目の最終予選リーグ進出。
第60回(2010年度)NHK杯戦で2度目の予選通過、本戦では3回戦進出(羽生善治に敗れる)。そして2011年3月11日久保利明王将に挑戦中の豊島将之六段に敗れて2回目の降級点(第67期順位戦において3勝7敗で1回目の降級点)を喫し、12期守っていたC級1組からC級2組への陥落が確定した。
第73期(2014年度)C級2組順位戦で2個目の降級点を取った。2015年4月1日に、フリークラス宣言を行い、以後の順位戦へは出場しないことになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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