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勝岡寛次 : ミニ英和和英辞書
勝岡寛次[かつおか かんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

勝岡寛次 : ウィキペディア日本語版
勝岡寛次[かつおか かんじ]
勝岡 寛次(かつおか かんじ、1957年(昭和32年) - )は、日本歴史学者明星大学戦後教育史研究センター勤務・同大学非常勤講師。専門は日本教育史日台交流教育会事務局次長。「日本の教育改革」有識者懇談会事務局長。国語問題協議会評議委員。
広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学大学院博士課程修了。大学院修了後は、明星大学戦後教育史研究センターへ勤務し、日本占領時代の米軍の極秘文書の研究を行なっている。
== 活動 ==
1982年(昭和57年)の「教科書誤報事件」の際、『朝日新聞』は既に誤報に気付いていたが、7月27日の紙面では検定によって書き換えられた記述の一覧表から件の箇所を外した以外、訂正・謝罪の記事を出してはいなかった。勝岡は、首都圏の大学の教育系サークルの連合体である教育問題研究会学生連絡会議の代表としてデモ隊を率い、9月13日より朝日新聞本社へ抗議、17日には伊藤編集局次長(当時)と会談した。伊藤は、誤報は認めつつも「謝罪はできない」「検定制度にこそ原因がある」と主張したが、19日の朝刊には読者の質問に答える形で誤報を認める記事を掲載した。勝岡らは、内容が不十分であるとして、引き続き抗議行動を続けたが、以降『朝日新聞』がこの時より踏み込んだ訂正記事を掲載することはなかった〔昭和59年3月8日発行『進撃 第6,7集』より〕。
かつては新しい歴史教科書をつくる会の主要メンバーであり理事も務めていたが、会の内紛により、2006年(平成18年)4月30日、当時の会長種子島経、元会長八木秀次らと共に退会した。当時の名誉会長西尾幹二は、造反理事4人を「4人組」(勝岡・新田均内田智松浦光修)と名指ししたが、勝岡は『SAPIO』誌上(2006年(平成18年)7月12日号)でこれに反論した。2006年(平成18年)10月、つくる会と袂を別った元理事らは、八木を中心に「日本教育再生機構」を起ち上げている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝岡寛次」の詳細全文を読む




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