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勝本清一郎 : ミニ英和和英辞書
勝本清一郎[かつもと せいいちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [いち]
  1. (num) one 

勝本清一郎 : ウィキペディア日本語版
勝本清一郎[かつもと せいいちろう]
勝本 清一郎(かつもと せいいちろう、1899年5月5日 - 1967年3月23日)は文芸評論家である。
東京生まれ。1923年慶應義塾大学文学部を卒業し、プロレタリア文学や演劇の運動に関わった。
永井荷風の妻だった藤間静枝(藤蔭静樹)の恋人となり(1921年)、静枝の舞踊台本も執筆。静枝を題材とした小説を『三田文学』に発表した。その後徳田秋聲が結婚しかけた山田順子が勝本のもとに走り、静枝と別れるという事件(1927年)が起きたが、のち『座談会 明治文学史』で勝本が、これは静枝と別れるためだったと述べており、順子とも1年ほどで別れた。
1929年、島崎藤村の子・蓊助ベルリンに外遊。『前衛の文学』(1930年)を刊行。この間、藤森成吉とともにハリコフ会議(第2回国際革命作家同盟会議)に出席、日本のプロレタリア文学運動の現状を報告した。1933年、ドイツ人女性を伴って帰国。1938年に検挙された。
第二次世界大戦後、社団法人日本ユネスコ協会連盟理事長を務めた。文学資料の収集でも知られ、岩波書店版『透谷全集』(1950-1955年)の編集において厳密な校訂を貫いたことは語り草になった。〔1976年に刊行された筑摩書房の『明治文学全集 北村透谷集』の校訂をおこなった小田切秀雄は、同書の解題で、勝本の編集に不満を表明している。しかし小田切の指摘したうち、変体がなを直した点に関しては、三好行雄が小田切の誤り(透谷の意向ではなく当時の慣習)を指摘し、谷沢永一と論争になっている(小谷野敦『現代文学論争』筑摩選書)。〕
== 著書 ==

*『赤色戦線を行く』新潮社(1930年)
*『前衛の文学』新潮社(1930年)
*『日本文学の世界的位置』協和書院(1936年)
*『近代文学ノート』能楽書林(1948年)
*『こころの遠近』朝日新聞社 1965
*『近代文学ノート』全4巻(選集)みすず書房 1979-80


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝本清一郎」の詳細全文を読む




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