翻訳と辞書
Words near each other
・ 勝田友彰
・ 勝田台
・ 勝田台中学校
・ 勝田台北
・ 勝田台南
・ 勝田台病院
・ 勝田台線
・ 勝田台駅
・ 勝田吉太郎
・ 勝田和宏
勝田四方蔵
・ 勝田声優学院
・ 勝田孝興
・ 勝田孫弥
・ 勝田守一
・ 勝田小学校
・ 勝田川
・ 勝田川 (曖昧さ回避)
・ 勝田川 (鳥取県)
・ 勝田工業高校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

勝田四方蔵 : ミニ英和和英辞書
勝田四方蔵[しょうだ よもぞう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [よん]
  1. (num) four 
四方 : [よも]
 (n) every direction
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

勝田四方蔵 : ウィキペディア日本語版
勝田四方蔵[しょうだ よもぞう]
勝田 四方蔵(しょうだ よもぞう、1845年弘化2年11月) - 1918年(大正7年)7月9日〔『官報』第1788号「彙報 - 官吏薨去及死去」1918年7月18日。〕)は、日本の陸軍軍人政治家華族。栄典は正三位勲一等功三級〔『官報』第7188号、大正7年7月18日。 〕。最終階級は陸軍中将貴族院議員、男爵
== 経歴 ==
長州藩士族出身。維新後は陸軍に奉職し、明治5年3月15日1872年4月22日)、陸軍中尉に任官。西南戦争では第3旅団参謀をつとめた。
1884年(明治17年)3月、工兵第1方面提理に就任。続いて1887年(明治20年)6月、工兵会議議長となり、工兵科の成長に携わった。
1894年(明治27年)11月、第2軍工兵部長に発令され、日清戦争に出征。少将進級後の1895年(明治28年)4月、下関要塞司令官に就任し、以後、東京湾要塞司令官、二度目の下関要塞司令官を歴任した。中将昇進後の1901年(明治34年)に休職。
1904年(明治37年)2月、留守第12師団長として復帰し日露戦争を迎えた。1907年(明治40年)3月予備役に編入され〔『官報』第7100号、明治40年3月4日。 〕、同年9月21日、男爵を授爵し華族となり、貴族院議員を1911年(明治44年)7月から死去するまで勤めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝田四方蔵」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.