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勝目 梓(かつめ あずさ、男性、1932年6月20日〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕 - )は、日本の小説家、エッセイスト、俳人。 東京生まれ〔勝目梓『女神たちの森』(2010年7月、光文社文庫 著者紹介)〕。鹿児島県立伊集院高等学校中退〔。 == 来歴・人物 == 幼い頃両親が離婚し、母とともに九州に渡る。高校中退後、長崎で炭鉱夫として働き、労組の責任者となるが闘争に敗れて退職。ほか養鶏業、自動車教習所教員など、さまざまな職を転々とし〔、三年間の結核療養中に作家をこころざす〔。 1962年、初めて書いた小説で文學界新人賞に応募、一次予選通過。 1964年、郷里に妻を残し、愛人とともに上京。運送会社のトラック運転手として働きながら、同人誌『文藝首都』に所属し〔、翌年、19歳で入会してきた中上健次を知り、中上の才能に打ちのめされる。 1966年、34歳で、『文藝首都』の推薦作「玩具の花」を『新潮』に発表〔勝目梓『ある殺人者の回想』(2016年3月、講談社文庫 著者紹介)〕。1967年、「マイ・カアニヴァル」(『文藝首都』)で上半期芥川賞候補〔、1968年、「遠景」を『文學界』に、1969年、「花を掲げて」を同誌に発表、直木賞候補〔となるが、芽が出なかった。 1969年、高瀬千図と出会い恋愛関係となる。高瀬は二女を産むが、勝目が流行作家となってようやく妻との離婚が成立、結婚。しかし高瀬が作家デビューしてのち、協議離婚。 1970年、森敦と出会い、毎朝激励の電話を受けるなどして文学について教わった結果、娯楽小説に転じる決意をする。 1974年、42歳の時に「寝台の方舟」で小説現代新人賞を受賞〔、1975年から官能小説を中間小説誌に発表するようになる。 1977年、45歳で、初の単行本『マン・フラワー号のハント旅行』(グリーンアロー・ブックス)を刊行。 1978年、五冊目の単行本『獣たちの熱い眠り』がベストセラーになり〔〔、以後、主としてバイオレンス官能作家として、今日まで300冊近い著作を出している。 1981年、日本文芸大賞受賞〔。 1983年、初期の作品「玩具の花」「寝台の方舟」が、『寝台の方舟』で初めて単行本となった。 1986年、「鷹羽狩行集」に長文の解説を掲載〔勝目梓『俳句の森を散歩する』(2003年12月、小学館 出版社内容情報)〕、2004年に刊行された『俳句の森を散歩する』では、46人の俳人をとりあげて精細に論じている〔。 勝目自身も俳人であり、「全日本俳句結社総評議会」と銘打った句会を20年以上にわたって主宰し、「一煙」の俳号をもつ〔。 1997年、第50回日本推理作家協会賞短編および連作短編集部門、1998年、第51回日本推理作家協会賞短編および連作短編集部門の選考委員を務めた。 2006年、『小説家』、2007年、『老醜の記』で初めて私小説に手を染め、純文学を諦めて量産作家となった屈折を明らかにした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勝目梓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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