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勝願寺(しょうがんじ)は、埼玉県鴻巣市本町8丁目にある浄土宗の寺院である。浄土宗の関東十八檀林の1つ。市内登戸地区にはもう一つの勝願寺が存在し、こちらの宗派は新義真言宗である。 ==歴史== 鎌倉時代、第4代執権で、壇越北条経時が鎌倉の光明寺開山の良忠に登戸の地を寄進し、一宇を建立した事に始まる。その後、清厳上人が1573年(天正元年)に現在の場所に再興したとされている。1593年(文禄2年)に徳川家康が鴻巣で鷹狩を行った際に勝願寺を訪れ、二世住職円誉不残上人に感銘を受け、様々な宝物を寄進、また三つ葉葵を使用する事を許可したといわれる。 家康は、1597年(慶長2年)、1601年(慶長6年)、1604年(慶長9年)にも鷹狩を行い、1601年に訪れた際には、 家康の次男結城秀康の越前移封によって、領主不在となった結城城の御殿、御台所、太鼓櫓、築地三筋塀、下馬札、鐘などを寄進した。御殿は百十四畳敷きの大方丈「金の間」、九十六畳敷きの小方丈「銀の間」に分けられた。大方丈は将軍来訪の際に使用されたことから「御成の間」とも呼ばれ、将軍以外の使用を禁じられていたという。 円誉不残上人は1606年(慶長11年)に後陽成天皇から、僧としては最高位の紫衣を与えられると名声が高まり、檀林として興隆し、関東十八壇林の一つと呼ばれるようになった。 しかし明治時代の竜巻により御殿は全壊、その後の火災により本堂、庫裏、鐘楼、仁王門など殆どの施設や宝物は失われた。 その後、本堂と仁王門が再建され現在に至っている。また檀林として興隆した時代には学寮が置かれた場所は現在、公園として整備され、市民の憩いの場となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勝願寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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