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勤勉革命(きんべんかくめい、英:Industrious Revolution)とは、江戸時代農村部に生じた生産革命である。産業革命(工業化)が資本(機械)を利用して労働生産性を向上させる資本集約・労働節約型の生産革命であったのとは対照的に、家畜(資本)が行っていた労働を人間が肩代わりする資本節約・労働集約型の生産革命であり、これを通じて日本人の「勤勉性」が培われたとされる〔奥西2006 136-137頁、速水2003 301-302頁、武田2008 70頁〕。 江戸時代濃尾地方農村部に人口の増加に伴う家畜の減少を観察した歴史人口学者の速水融により1976年に提唱され、産業革命(industrial revolution)に因んで勤勉革命(industrious revolution)と名付けられた〔秋田2008164頁、奥西2006 136-137頁、速水2003 310-314頁、藤田2008 112頁〕。 == 背景 == 日本では室町時代末から江戸時代初期にかけての16-17世紀は耕地面積が急増した時代である。これは治水・灌漑技術の発達により沖積平野部の開拓が可能になったことに起因するもので、江戸時代における耕地開発の3分の2は17世紀中に行われたものであった。また人口についても17世紀中には急速な増加がみられ、1600年において約1500万人であったものが18世紀初頭には約3000万人に達していた〔浜野2009 7-11,14-15頁、速水2003 247-248頁、藤田2008 111頁〕〔。 そうした中で農村社会も変貌する。中世には名主が名子・被官を動員した大規模な農業経営が一般的であり、有事にはそれがそのまま戦闘集団として機能した。しかし平和な時代が訪れ、また開拓が進むにつれて名子層は平野部に進出して自立し、17世紀中ごろには一夫婦とその直系家族による小規模な家族経営が大半を占めるようになっていた(小農自立)〔穐本1996 154-156頁、浜野2009 15-16頁、速水2003 130頁、藤田2008 111頁〕。 しかし17世紀末には平野部も大半が開発し尽くされて18・19世紀には耕地面積は伸び悩み、人口も約3000万人で停滞していた〔浜野2009 7-11,14-15頁、速水2003 247-248頁、藤田2008 111頁〕〔。こうした状況の中、自己の責任下で経営判断を行うようになった小農達が生産拡大のために採った行動、それが勤勉革命であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勤勉革命」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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