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勧修寺宮済範親王 : ミニ英和和英辞書
勧修寺宮済範親王[かじゅうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かん]
 【名詞】 1. recommend 2. advise 3. encourage 4. offer (wine)
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [すみ]
 【名詞】 1. arranged 2. taken care of 3. settled
: [はん]
 【名詞】 1. example 2. model 
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

勧修寺宮済範親王 ( リダイレクト:山階宮晃親王 ) : ウィキペディア日本語版
山階宮晃親王[やましなのみや あきらしんのう]

山階宮晃親王(やましなのみや あきらしんのう、 文化13年9月2日1816年10月22日) - 明治31年(1898年2月17日)は、日本皇族伏見宮邦家親王の第一王子。勧修寺宮済範親王二品
== 経歴 ==
文化13年(1816年)に誕生、幼名は静宮(しずのみや)。初名は清保(きよやす)といった。
文化14年(1817年)、京都山科の門跡寺院・勧修寺を相続した。文政7年(1824年)に出家し、済範(さいはん)入道親王と称した。天保12年(1841年)10月8日、二歳年下の叔母・幾佐宮隆子女王と共に出奔するという不祥事を起こした結果、天保13年(1842年)7月22日に光格天皇養子・二品親王・勧修寺門跡の地位が停止され、伏見宮より除籍されてしまう。
元治元年(1864年)、徳川慶喜らが済範入道親王の還俗を孝明天皇に願い、同年(元号は文久)正月9日、済範入道親王は伏見宮に復し同18日、勅許をもって復飾し改めて親王宣下と共に、山階宮の宮号を賜った。
その後は国事御用掛として幕末の政界で活躍し、明治維新後は、議定・外国事務総督などの要職を占めた。皇族がヨーロッパの王室に倣って軍人になる中、親王は固辞し文官であることを通した。一旦は上京したものの、明治天皇に願い出て帰洛。1886年(明治19年)に大勲位菊花大綬章を受けている。1898年(明治31年)2月17日、83歳で薨去した。
王子に菊麿王がいる。菊麿王は親王の後を継ぎ山階宮第2代となる。
== 栄典 ==
* 1886年(明治19年)12月29日 - 大勲位菊花大綬章〔『官報』第1051号「叙任及辞令」1887年1月4日。〕
* 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章〔『官報』第1928号「宮廷錄事」「彙報 - 大日本帝国憲法発布記念章送付」1889年11月30日。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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