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ボヤンマンダフ(モンゴル語: Бyян мандах、''Buyanmanduqu'')は中華民国・満州国・中華人民共和国の政治家。モンゴル族。漢語表記は博彦満都、漢名は包豹忱、包雲蔚。 == 事跡 == 1925年に内モンゴル人民革命党に参加し、中央執行委員候補兼ジュリム盟支部長となった。1932年(大同元年)4月、ボヤンマンダフは満州国の興安南省民政庁長に就任する。1942年(康徳9年)4月、同省省長に昇進した。翌年10月、興安総省成立とともに、興安総省長に昇格し、満州国滅亡まで同職にあった。なおこの期間にあっても、ボヤンマンダフは中国共産党の人士を密かに庇護し、経済的支援も与えている。 満州国滅亡後の1946年(民国35年)1月、ボヤンマンダフはモンゴル族上流階層の人物を率いて、ヒンガン盟(興安盟)の葛根廟において東モンゴル自治政府を組織し、自ら主席に就任した。しかし同年5月、ウランフが組織した内モンゴル自治運動連合会に合流し、その副主席に任ぜられている。 1947年に内モンゴル自治区が成立すると、ボヤンマンダフもこれに参加した。以後、内モンゴル自治政府第1期臨時参議会議長、内モンゴル自治区人民政府委員、参事室主任、自治区政治協商会議常務委員、中国人民政治協商会議全国委員会第3~5期委員を歴任した。 1980年、死去。享年87。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボヤンマンダフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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