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北の富士賞(きたのふじしょう)とは、大相撲の十両で全勝優勝した力士に第52代横綱でNHK相撲解説者の北の富士勝昭が個人的に贈る賞である。個人的な賞ではあるが贈呈する北の富士が元横綱でNHK大相撲中継の専属解説者であるため賞の知名度は高い。 == 解説 == 1963年(昭和38年)11月場所で北の冨士が達成して以来十両では長らく全勝優勝が出なかった(十両は幕内から落ちてきた力士もいて力が均衡しており、十両の好成績者が幕内力士と当たることもあるため全勝は非常に難しい)。 2005年(平成17年)9月場所で豊ノ島が初日から土つかずの13連勝を達成した際、テレビ解説を務めていた北の富士が「全勝優勝したら僕からも何かやるよ」「金一封」と言ったことがきっかけである。しかし、この場所豊ノ島は14日目に把瑠都に敗れて惜しくも14勝1敗に終わってしまう。 2006年(平成18年)3月場所、その把瑠都が15戦全勝を達成し、同場所千秋楽の解説を務めていた北の富士の前で実況担当だった藤井康生アナから「北の富士賞」の名が出た。 この時把瑠都の全勝優勝インタビューにて「北の富士関は横綱まで行きましたが把瑠都関はどこまで行きたいですか?」の質問が出た際に北の富士は「横綱、横綱」と回答を促した。 把瑠都以前に十両で15戦全勝優勝した力士は栃光、内田(後の豊山)、北の富士の3名であるが、栃光と豊山が大関、北の富士が横綱まで番付を上げている。また、把瑠都自身も2010年(平成22年)5月場所より大関に昇進を果たしている。 なお、ベースボール・マガジン社発行の雑誌『相撲』2006年5月号掲載の北の富士と把瑠都との対談で、把瑠都に贈られた賞の内容が金一封であったことが明かされた。 2012年1月場所で大関把瑠都が初日から14連勝して初の幕内最高優勝を決めた際には史上2人目の幕内十両双方の15戦全勝優勝経験者になるのではと期待がかかった。千秋楽正面解説はこの記録の1人目である北の富士で、この時藤井アナウンサーとの間で2度目の北の富士賞の話が出たが、結びの一番で横綱白鵬に敗れて14勝1敗となり全勝優勝は達成できず、北の富士賞の話は流れてしまった。ちなみに白鵬は前の場所の千秋楽で把瑠都に敗れ全勝優勝を阻まれているという因縁の組み合わせだった。 しかし把瑠都は翌2012年3月場所で唯一の綱獲りに挑戦したが、10勝5敗に終わり横綱昇進はならなかった。その後度重なる怪我が響いて、2012年11月場所限りで大関から関脇への陥落が決定してしまう。2013年9月場所の把瑠都は十両の地位まで転落するも、左膝等の怪我の回復具合が思わしくなく、同9月場所前に現役引退を表明した。 2014年9月場所の栃ノ心も十両で15戦全勝優勝したが、この時は北の富士賞の受賞はならなかった。なお、北の富士本人はNHK大相撲中継2014年9月場所14日目の解説で自身の予算上の理由から当初より授賞を見送る方針である旨を明かしていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北の富士賞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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