|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 北 : [きた, ほく] (n) north ・ 九 : [く] 1. (num) nine ・ 九州 : [きゅうしゅう] 【名詞】 1. southern-most of four main islands of Japan ・ 州 : [す, しゅう] (n) sandbank ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
北九州高速鉄道株式会社(きたきゅうしゅうこうそくてつどう)は、福岡県北九州市の小倉北区・小倉南区でモノレール(軌道法による軌道)を運営している会社である。本社は福岡県北九州市小倉南区企救丘2丁目13番1号。北九州モノレールまたは小倉モノレールと呼ばれている。 == 概要 == 北九州市の小倉北区と小倉南区とを結ぶ小倉線を運営している。当初、北九州市による直営も検討されていたが、1972年(昭和47年)11月17日に公布・施行された「都市モノレールの整備の促進に関する法律」(都市モノレール法)による「都市モノレール建設のための道路整備に対する補助制度」の適用を受けることになり、その事業運営主体として北九州市が52%、民間が48%を出資する、資本金22億円の第三セクター会社として1976年(昭和51年)7月31日に設立された。民間48%のうち大口出資企業は西日本鉄道がおよそ20%、次いで九州電力が6%、他に新日本製鐵が6%、住友金属工業が5%(新日本製鐵・住友金属工業の両社は2012年(平成24年)10月1日に合併し、新日鐵住金となった)などとなっている。 当初の計画では、国鉄(現JR九州)小倉駅北口地区の振興を狙って、小倉駅の北側に起点駅を設ける予定であった。しかし、山陽新幹線を乗り越えることが困難であるなど現実的でなかったため、小倉駅南側に駅を設けることとなった。ところが、開業当初は景観問題から地元商店街の猛反発に遭い〔サンポート高松 鉄道2駅の連携は(四国新聞1998年(平成10年)2月2日付) 〕〔http://www2u.biglobe.ne.jp/~n_satoh/RJ_0101B.html〕、小倉駅への乗り入れができず乗り換えに不便が伴った(小倉駅周辺のモノレールの地下化を求める声もあったがコスト・技術面から現実的ではなく実現していない)。 小倉駅での徒歩連絡という不便のためにモノレール利用客数は予想を大きく下回り、長期間にわたる赤字の原因となったが、1998年(平成10年)の小倉駅乗り入れを機に利用者数が増加、単年度では黒字を出すまでになった。それでも莫大な累積赤字が残り、経営体質の改善が急務となっていた。そこで、2005年(平成17年)に産業活力再生特別措置法に基づく再生計画の認可を受け、残っていた債務を株式に転換した上で北九州市が税金で全株取得したため、同社の株は北九州市が100%保有している。 小倉線の建設は西鉄北方線廃止と引き換えの事業でもあったため、開業時には西鉄北九州線の一部の乗務員が移籍している。 小倉駅乗り入れ10周年を迎えた2008年(平成20年)には、かつて車両で使用されていた吊革を再利用した小倉-企救丘間の「吊革きっぷ」を販売したが、3月29日の発売から数日で売り切れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北九州高速鉄道」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kitakyushu Monorail 」があります。 スポンサード リンク
|