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北九州土地転がし事件(きたきゅうしゅうとちころがしじけん)とは、1981年に福岡県北九州市で発覚し、全日本同和会分裂の引き金となった土地転がし脱税事件。 ==経緯== ===発端=== 中心人物は、部落解放同盟小倉地区協書記長(当時)の木村政男と全日本同和会会長(当時)の松尾正信ならびに全日本同和会相談役(当時)など3名。この3人が北九州市で13件の土地転がしをおこない、約9億円の土地を約26億円で北九州市当局に売却し、約17億円の利益を上げていた。 このとき明るみに出た地上げ行為は全部で18件、そのうち全日本同和会会長が6件に、部落解放同盟書記長が12件に関与していた、とする資料もある〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.307(葦書房、1982年)〕。木村政男以外にも、部落解放同盟門司地協書記長(当時)の松本征幸、部落解放同盟八幡地協顧問(当時)の北代俊彦が事件に介在していた〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.307-308(葦書房、1982年)〕。 ;木村政男 :北九州市八幡西区笹田の土地52.568m、ならびに北九州市八幡西区浅川の土地9.972mを太陽興産の岩本勝社長らと共に市に圧力をかけ、1ヶ月から7ヶ月程の間にそれぞれ約3.4倍、1.7倍という高値で市と公社に買い上げさせた〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.308(葦書房、1982年)〕。木村はみずからの行為について「問題の土地を買ったとすれば受ける側が悪い」〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.40(葦書房、1982年)〕「われわれを怖がって予算をつけるとすれば、市に差別意識があるからだ」〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.41(葦書房、1982年)〕「土地を買え、と市に求めるのは解放同盟における自分の当然の仕事だ。交渉だから声が大きくなることもある」〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.231(葦書房、1982年)〕と開き直った。また、土地転がしによる所得を税務申告せず脱税し、市内8つの銀行に20数億円の預金をしていると告発を受けた〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.308(葦書房、1982年)〕。 ;松本征幸 :「地名総鑑」事件で糾弾した小野田セメントから北九州市門司区吉志の土地3.134m、1.853mを「児童遊園地建設」の名目で取得。この土地の価格を3ヶ月程の間に約2倍から3.5倍に吊り上げ、北九州市同和対策部の元職員ともども市と公社に圧力をかけて売りつけ、3000万円の利益を得た〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.9, p.308-309(葦書房、1982年)〕。このうち松本は、土地所有者からの依頼で市に口利きをして礼金30万円を受け取ったことだけを認めた〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.308(葦書房、1982年)〕。 ;北代俊彦 :北九州市八幡西区の土地6件を、部落解放同盟八幡地協顧問の肩書きを利用して市や公社に平均3倍から4倍の値段で転売した〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.309(葦書房、1982年)〕。 ;松尾正信 :北九州市八幡区(当時)大字楠橋の土地を坪当たり2000円前後で笠松炭鉱株式会社から買い取った直後、北九州市の幹部を自宅に呼びつけ、「解放同盟のところでは、道路の拡張で簡単に土地を買っとる。なんでこっち(全日本同和会)の土地が買えんのか。差別するのか」とこの土地を買い取ることを強要〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.101(葦書房、1982年)〕。市は初めは買い渋ったが「何の計画もないのに、土地を買うわけにはいきません。計画を立てるまでしばらく待ってください」と条件をつけ、のちに仮称「合札団地」用地として北九州市住宅供給公社が坪当たり1万円を超える高額で買い取った〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.101(葦書房、1982年)〕。この価格については「谷間や墓地があるなど、地形的に恵まれず、とても坪当たり1万円を超える土地とは思えない」と地元住民から疑義が提起された〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.103(葦書房、1982年)〕。北九州市住宅供給公社は、1972年から1976年まで15回にわたり松尾から少しずつ土地を買い続け、その間、買取価格は上昇を続け、1976年には坪当たり約6万円に達していた〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.103-104(葦書房、1982年)〕。この仮称「合札団地」の建設は実現せず、問題の用地は5年間放置された挙句、宅地として分譲する計画に切り替えられ、「これではまるで政策転がしだ。当初から公営住宅計画をもって、土地を購入したかどうかも疑問」と公明党の高尾新一議員から批判を受けた〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.106(葦書房、1982年)〕。松尾が北九州市八幡西区馬場山や合札などの土地転がしで得た利益は数億円にのぼったが、のち警察の捜査を受けるようになると「買収価格は市が決めたことだ」と突っぱねた〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.231(葦書房、1982年)〕。 :また、市による松尾の土地の購入を知った木村政男が「同和会の土地を買うとるんなら、こっちの土地も買えるやろう」と市に要求し、みずからの所有地を太陽興産経由で公社に買わせたこともある〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.108(葦書房、1982年)〕。 :なお、松尾の北九州市八幡西区の自邸は城郭をかたどった豪邸で、みずからを模した「正信観音像」が建ち、「松尾城」「楠橋城」と呼ばれる〔中原京三『追跡・えせ同和行為』p.74-76(部落問題研究所、1988年)〕。ただし建築中に建築基準法違反であることが発覚し、市から工事中止勧告や立入検査を受けたが、松尾は「城を建てるのは小さい時からの夢で、今さらやめるつもりはない」とつっぱね、工事現場に「市の関係者及び見物人の立入禁止!! 無断で入った場合命の保障はしません!!」との看板を立てて抵抗し、工事を続行した〔。この邸宅の建築費も土地転がしで儲けたとみられている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北九州土地転がし事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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