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北井 伸宏(きたい のぶひろ、1973年9月13日 - )は、大阪府大阪市出身のプロマウンテンバイク選手。大阪体育大学浪商高等学校卒業。 1997年にはUCI(国際自転車競技連合)マウンテンバイクワールドカップで年間総合ワールドランキング4位を獲得し、日本人最高位(歴代1位)を記録するなど、日本のマウンテンバイク競技の第一人者である。 尚、UCIマウンテンバイクワールドカップでの優勝回数17回は日本人選手の最多優勝記録で、2014年現在でも破られていない。 == 経歴 == 1973年9月13日 大阪府大阪市生まれ。血液型B(B/Rh-)。幼い頃より地元のサッカースクールに通いサッカーに夢中になっていて、将来はプロサッカー選手になるのが当時の夢だった。攻撃的なプレーを得意とし、ポジションは主にウイングをやっていた。利き足は左。 そんなサッカー少年に転機が訪れるのは小学1年生の時。サッカースクールからの帰り道、JCF(日本自転車競技連盟)とJOC(日本オリンピック委員会)の強化担当(当時)に才能を見出され路上でスカウト。その後、自転車競技選手への道を歩み出す。 自転車競技に転向後、すぐにJOC(日本オリンピック委員会)の選手育成プログラムのもとで、JCF(日本自転車競技連盟)の特別強化指定選手(ジュニア)に登録され、シマノとブリジストン、アディダスのサポートを受け、自転車競技選手として彼に秘められた天賦の才能が徐々に花開いていく。 1986年には世界一になるという夢のため、世界に通用するため更なるステップアップを求め、ベルギーの自転車レースチーム・Team Rose-Vaujany Gravityに移籍し、戦いの場を自転車競技の本場ヨーロッパに移す。 1987年のジュニア世界選手権・ダウンヒル(DH)で金メダルを獲得すると、欧米の多くのプロチームから獲得のオファーが届く。 1988年1月、フランスのプロMTBチーム・Cofidis Solution creditsと契約し、15歳でプロ選手となる。日本人の自転車競技選手の最年少プロ選手誕生は当時スポーツ紙を賑わした。 1989年のシーズン前、Scott Swisspower(スイス)に移籍。以後、スイスを拠点にレース活動を行う。 1994年には、Red Bull MS Racing team(スイス)に移籍する。 2002年7月 オーストリアで行われたUCI(国際自転車競技連合)マウンテンバイクワールドカップ・第10戦ダウンヒル(DH)の競技中に転倒しコースアウト。更に不運なことにコースアウトした場所が崖だったため、転倒し滑ったまま15メートル崖下まで転落するという事故(レーシングアクシデント)が発生。そのレース中のアクシデントにより全身に大ケガを負う。その後、レース復帰を目指し厳しいリハビリに励むも、2004年に正式に引退を表明する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北井伸宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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