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北勝力英樹(ほくとうりき ひでき 1977年10月31日 - )は、栃木県那須郡黒羽町(現在の大田原市)出身(出生地は東京都大田区)で八角部屋(入門時は九重部屋)所属の元大相撲力士。本名は木村英樹(きむら ひでき)〔幕内格行司の11代目式守勘太夫が初土俵の際に名乗っていた行司名と同じであった。〕、愛称はリキ。 身長182cm、体重153kg、趣味は音楽鑑賞。得意技は突き、押し。最高位は西関脇(2004年7月場所)。引退後は年寄谷川。 == 来歴 == タクシー運転手の次男。東京都大田区に生まれ育ったが、両親の出身地である栃木県那須郡黒羽町(現在の大田原市)を出身地としている〔浪漫探県隊 大相撲番外1 読売新聞栃木版〕。 小学校低学年からソフトボールを始め、高学年は野球部に所属していた。中学では野球部に所属する傍ら、父親の勧めで中学2年から柔道もしていた。それまで相撲の経験はなかったが、銭湯で九重部屋の関係者にスカウトされたことがきっかけで入門した。1993年3月場所、初土俵。同期には皇牙、旭南海、琴春日、琉鵬、若天狼、若兎馬らがいる。 部屋付の当時・北勝海親方の内弟子として北勝力の四股名をもらい、八角部屋を創設すると他の内弟子たちと共に移籍した。 2002年1月場所、潮丸と共に十両昇進。十両昇進後の1月・3月場所共に二桁勝利を収め、僅か2場所で5月場所に新入幕。同年5月場所は11勝4敗という成績を挙げ、敢闘賞を受賞。2004年7月場所に新関脇に昇進。三役はこの1場所のみで小結は経験しなかった。好不調の波が激しい力士で、大勝と大敗を繰り返し大きく番付を動くことが多い。2006年は特にその傾向が顕著であった。2007年1月場所には十両落ちも経験した(同年5月場所に幕内に復帰)。2009年3月13日付で年寄名跡・谷川を取得した。2009年7月場所に2度目の十両陥落となる(同年9月場所に幕内に復帰)。2010年9月場所の12日目の前頭5枚目高見盛戦の立合いの際に、対戦相手の肩に顔面を強打し、土俵の真ん中で脳震盪を起こして倒れてしまう。すぐに意識は戻ったが、その場所の残り3日間と、翌場所と、翌々場所を休場する羽目になってしまった。この連続休場により2011年5月技量審査場所では幕下に陥落した。 2011年5月14日、10年前から痛めていた首の状態や、医師から相撲をやめた方がいいとの進言もあり、引退、年寄谷川を襲名した。 同年7月場所9日目、NHK大相撲中継に向正面解説として初登場した。朝青龍の土俵入りでは、後ろで横綱の筋肉のつき方や動きを凝視していたことや、高見盛とは親しい友人だったが、高見盛の優しい性格を知りすぎてしまうと取り組みで自分の力を出し切れなくなると思い、あえて距離を置いたなど、現役時代の無口なイメージを払拭するようかのようにエピソードを披露。話の組み立ても上手であり分かりやすい解説を行った。実況担当の刈屋富士雄アナウンサーもその研究熱心さに驚いていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北勝力英樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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