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「北国の春」(きたぐにのはる)は、1977年4月5日に発売された千昌夫のシングルレコードである。発売元はミノルフォンレコード・徳間音楽工業(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)。品番はKA-1050。 == 解説 == オリコンシングルチャートでは、100位以内初登場から通算92週目でミリオンセラー達成(連続92週ではない)。この数字は、後年に至るまでミリオンセラー達成までの100位圏内チャートイン週数が歴代1位であった。その後、2003年に中島みゆきが「地上の星/ヘッドライト・テールライト」で新記録を樹立し(139週)、以後は歴代2位となっている。同チャートでは1979年2月5日付と4月2日付で最高位の6位を獲得〔オリコン・ウィークリー(編)『小池聡行のオリコンデータ私書箱』オリジナルコンフィデンス、1991年、67頁。ISBN 4871310272〕。同チャートの100位以内チャートイン数は通算134週、連続111週(1978年1月16日付〜1980年2月18日付)〔となっている。 タイトル曲「北国の春」は、都会で暮らす男性が実家から届いた小包〔後年、クイズ日本人の質問にて作詞のいでは小包の中身は山菜をイメージしたと明かしている。〕を受け取り、早春期の故郷や家族、かつての恋心などを想う内容の歌詞である。 当初「北国の春」はB面曲として予定されていたが、急遽A面曲としての発売となった〔読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』現代教養文庫、1997年、36頁。ISBN 4390116029〕。 同曲のヒットで千昌夫は、1977年大晦日放送の『第28回NHK紅白歌合戦』に第22回(1971年)以来6年振りの出場を果たした。以降、同楽曲の超ロングセラーにより第29回(1978年)、第30回(1979年)と3年連続で披露するに至っている。また『紅白歌合戦』において、3年連続で同一曲を歌唱するのは「北国の春」が史上初めてであった。 その後も第33回(1982年)と、昭和時代が終わりを迎えた1989年の『第40回NHK紅白歌合戦』(初めて2部構成となった紅白)前半部分「昭和の紅白」でも歌われた。20世紀内における紅白では、ひとりの歌手にもっとも多く歌われた楽曲のひとつになっている(もう一曲は、渡辺はま子「桑港のチャイナ街(サンフランシスコのチャイナタウン)」で、特別出演を含めて同じく5回〔NHKウイークリーステラ臨時増刊『紅白50回〜栄光と感動の全記録〜』(NHKサービスセンター刊、2000年1月16日発行)参照。〕)。21世紀になってからは、2011年の第62回でも歌われた。 TBSテレビの『ザ・ベストテン』は10位以内のランクインはならなかった(最高位12位)が、1979年1月18日放送分において「今週のスポットライト」内で唯一の出演を果たしている。 タイトルにもある「北国」がどこを指しているか、具体的な地名は歌詞中に登場しないが、作詞者のいではくが後に自身の故郷(長野県南牧村)がある信州の情景を描いたと語っている〔2008年12月10日付、日本経済新聞文化面記事より。〕。 中国語やタイ語の歌詞を付けたカバーバージョンが多数存在する〔遠藤実さん死去…「北国の春」「高校三年生」など5000曲生む 〕。これに対していではくは、若い頃、冒険家・登山家になるのが夢だった自分の夢と照らし合わせ、「同曲が自分の夢を、代役として務めているような気がする」と語っている〔『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』34-35頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北国の春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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