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北大ポプラ並木(ほくだいポプラなみき)は、北海道大学札幌キャンパスにあるポプラの並木道。 ==北大ポプラ並木== 北海道大学のシンボルであり、観光地として有名なポプラ並木。日本政府観光局の訪日外国人向けサイトでは、札幌市時計台、北海道庁旧本庁舎と並ぶ札幌市の観光名所として紹介されている〔札幌エリア(日本政府観光局) 〕。 理学部の裏手から第1農場へと続いている。さっぽろ・ふるさと文化百選のNo.088〔札幌市民憲章制定50周年記念誌 第2章 ランキング札幌 - PDF p.19(8枚目)〕、ならびに北区歴史と文化の八十八選のうち、「1.文学と学問の道〈鉄西・幌北コース〉」に属する「15.北大ポプラ並木」として選定されている〔札幌市北区役所 - 15.北大ポプラ並木 〕。 元となったのは、北大の前身である札幌農学校の第2代校長・森源三の息子、森廣が1903年(明治36年)にアメリカから持ち帰った数本の並木である。これを南鷹次郎教授が農道のアカシア並木に続くように植えて育てた。1911年(明治44年)、新渡戸稲造に同行してアメリカにわたった南は、農場の風除けにするために多くのポプラを購入して持ち帰った。翌1912年(明治45年)、これを上田半二郎助手や林学科の学生たちが森のポプラに加えて植え、並木ができあがった。 1954年(昭和29年)、洞爺丸台風によって数本のポプラが倒れた。1959年(昭和34年)の台風による被害はそれ以上に甚大で、10本以上が倒木となり、大学内では伐採論が唱えられるようになった。だが、小学3年生女子からの「切らないで」という手紙を受け取った町村金五北海道知事の働きかけにより、新たな苗木が植えられ、以前にも増して立派なポプラ並木となった。しかしその後、倒木の危険があるという理由で立ち入りが禁止されるようになった。 2004年(平成16年)9月8日、札幌を襲った台風18号によって北大キャンパスの木々は壊滅的な状態に陥った。約50本のポプラ並木のうち、残ったのは立て直した2本を含めて32本だった。旭川市の製材所に運び込まれたポプラ倒木のうち、良質の板が取れた1本を使ってチェンバロが作られた。並木が抜けた箇所には若木が植えられ、また路上にウッドチップを敷く整備がなされることで、一部の立ち入り規制が解かれ散策が可能になった〔札幌市北区役所 - 北大ポプラ並木-次世代へ受け継がれる思い- 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北大ポプラ並木」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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