|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 北 : [きた, ほく] (n) north ・ 守 : [もり] 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting
常総ニュータウン(じょうそうニュータウン)は茨城県常総市・つくばみらい市・守谷市・取手市に跨って開発が行われた大規模ニュータウン。開発面積約850ha、計画人口90,000人〔都市再生機構茨城地域支社「きぬの里」 〕。 == 概要 == 東京23区を中心に人口の過密化が進み、都心に近いまだ開発されていない地域に人口を分散させる狙いで1966年(昭和41年)6月に制定された首都圏整備法に基づき、近郊整備地帯に計画されたニュータウンである。当時の東京圏内では開発が進み、常総ニュータウン近辺でも取手市の国道6号両側などで乱開発が行われていた〔「広報守谷 昭和43年5月15日発行(第59号)」日本住宅公団開発本部長あいさつより。〕。これに対して日本住宅公団は乱開発が行われることで、将来道路や施設を整備するにあたって経費や手間が余分にかかってしまうこと、災害への対応が難しくなることを挙げ〔、1971年(昭和46年)に建設が始められた。開発主体は日本住宅公団(後の住宅・都市整備公団→都市基盤整備公団→都市再生機構)。 初期開発地区である取手市戸頭地区に大規模団地(公団取手戸頭団地)が整備され、常総市大生郷地区が工業団地として整備された例外を除き、戸建が中心のニュータウンである。関東鉄道常総線沿線に広がっているが、各地区は全てが隣接しているわけではなく、北守谷と絹の台、それらと鬼怒川を挟んで接しているきぬの里を除き、地区ごとに独立している。中心となる守谷市には首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが2005年(平成17年)8月24日に開業している。 常総ニュータウンは上記の通り戸頭地区から開発が始まったが、戸頭地区は初期より開発区域全体を「戸頭団地」と称しており〔広報とりで 1975 4・15 No.211〕〔広報とりで 1977 6・1 No.262〕〔広報とりで 1975 4・15 No.211〕 、大生郷工業団地も「大生郷工業団地」の名称で開発が行われるなど、常総ニュータウンの呼称を用いた開発は北守谷地区以降まで行われていない。また、常総ニュータウンの呼称を用いて活発に分譲が行われた北守谷地区や南守谷地区でも、開発初期に設置された看板や施設に「常総ニュータウン」という表記が見られるものの、近年では常総ニュータウンの呼称を用いることは稀となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「常総ニュータウン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|