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北岳廟(ほくがくびょう、簡体:、繁体: 北嶽廟)は、中国の河北省、曲陽県にある道教寺院である。道教五岳の1つである恒山を祀る寺院として、宋代に建築された。当時、恒山一帯は遼の支配下にあった。元時代に建てられた徳寧之殿は同寺に現存する堂宇の中では最も古く、かつ規模の大きい木造建物である〔Steinhardt (1998), 69.〕〔Zhao and Liang (2008), 114.〕。北岳廟にはこのほか3つの門と八角円堂があり、また多数の石碑が残されている。 == 歴史 == 北岳廟の前身は北魏(386年 - 584年)または唐(618年 - 907年)の時代に建てられたものと考えられるが、この場所そのものは漢時代の紀元前2世紀頃には何らかの目的で使用されていたようである〔〔。寺は2回にわたって再建されている。1回目は契丹族によって950年代に破壊された後の991年であり、2回目は1270年である〔。1672年に記された曲陽県の史書に残る図によれば、伽藍はこのとき既に現在と同様の配置になっている〔。 宋時代、北岳廟は道教五岳の1つである北岳恒山を祀る役目を担っていた。当時、恒山一帯が遼(916年 - 1125年)に支配されていたためである。宋代の皇帝は自らの政治的正統性を主張し、道教教団の支持を得るために、北岳恒山を祀るための場所として北岳廟を選んだ〔Goossaert (2008), 481.〕。恒山そのものが宋ではなく夷敵の支配下にあっても、北岳廟から地理に導かれて山を祀ることが可能であると考えられていた〔Steinhardt (1998), 84.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北岳廟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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