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北川敏男 : ミニ英和和英辞書
北川敏男[きたがわ としお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

北川敏男 : ウィキペディア日本語版
北川敏男[きたがわ としお]

北川 敏男(きたがわ としお、1909年10月3日 - 1993年3月13日)は、日本統計数学者情報科学者
推測統計学品質管理で顕著な業績を上げた。また、「情報学」、「情報科学」を提唱し、『制御』『栄存』『創造』の三座標軸を提案した〔北原貞輔、1993年〕。
大阪帝国大学助教授九州大学教授、同理学部長、富士通国際情報社会科学研究所所長、日本学術会議会員、日本情報処理学会会長を歴任。理学博士
== 経歴 ==
北海道小樽市出身。1934年東京帝国大学理学部数学科卒。大阪帝国大学講師を経て、1939年九州帝国大学助教授1943年九州帝国大学教授1963年附属図書館長、1965年基礎情報科学研究施設長。1968年理学部長、1973年退官。同年富士通国際情報社会科学研究所所長となり、1975年常任顧問、1983 - 89年会長。
この間、1948年4月10日から1949年7月20日まで統計数理研究所所長事務取扱〔統計数理研究所 沿革紹介(1940年代) 、2014年2月9日閲覧。〕、1949年神戸大学教授、1970年には埼玉大学教授を併任。アメリカにおいても、アイオワ大学プリンストン大学客員教授を歴任している。また、1950年から66年までの4期に渡って、日本学術会議会員を務め、17年間に渡る活動を振り返った書籍も出版している。
1939年12月には、東京帝国大学において「線状移動可能函数方程式とコーシー級数との理論」で理学博士号を取得。1953年には「品質管理の基礎理論である推測過程論の研究」で、日本科学技術連盟選定のデミング賞を受賞。1956年には国際統計協会正会員に推挙されている。また、インド経済開発計画に参画しており、1957年コルカタ大学〔従来からCalcuttaを英語読みでカルカッタと呼んでいたが、2001年以降はコルカタと呼ぶようになっている。〕から名誉博士号を授与されている。日本オペレーションズリサーチ学会フェロー、米国数理統計学会フェロー、情報処理学会会長

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北川敏男」の詳細全文を読む




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