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北川 正恭(きたがわ まさやす、1944年(昭和19年)11月11日 - )は、日本の政治家、政治学者。 三重県知事(第4代、2期)、衆議院議員(4期)、三重県議会議員(3期)を歴任。早稲田大学大学院公共経営研究科名誉教授、および早稲田大学マニフェスト研究所(プロジェクト研究所)顧問・前所長。富士通株式会社社外取締役。四日市大学客員教授。 家族は妻と2男。父は北川正雄(元三重県議会議長)〔『大政変 65人の主役たち』木下厚・編著(フットワーク出版) より〕。伯父(母の兄)に久保田藤麿(元衆議院議員、元参議院議員)がいる〔早稲田大学大学院公共経営研究科教授 北川正恭氏 第1回(取材協力:日刊建設工業新聞)1/2 - 建設WALKER より〕。 == 来歴・人物 == 三重県鈴鹿市出身。三重県立神戸高等学校、早稲田大学商学部卒業。学位は商学士(早稲田大学)。 1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。自民党時代は福田派→安倍派→三塚派に所属していたが、1994年(平成6年)の細川内閣総辞職を機に、鹿野道彦ら自民党議員5名と共に離党して、鹿野を党首とする新党みらいを結党。その後、他の政党会派と合併して、新進党に加わった。 1995年(平成7年)、同じ三重県出身の岡田克也に推されて、議員辞職して三重県知事選挙に出馬した。自民党公認等候補を破って当選を果たして、2期務めた。当初は新進党が支援母体であり、2期目は事実上は自社公民4党による相乗りのオール与党体制だったが、公式には政党・団体の推薦・支持を得なかったため「無党派知事」といわれた。 2003年(平成15年)に長期政権は癒着が生じると不出馬を表明した。国政復帰も囁かれたが、政治の根本を変えるには若い政治家を育てる必要性があると説き、早稲田大学大学院公共経営研究科教授に就任した。2015年(平成27年)退任。 選挙における政党の政権公約としてのマニフェストを提唱し、日本に広めた。21世紀臨調共同代表。せんたく発起人代表。 テレビではTBS系『ブロードキャスター』(レギュラーとしては2004年秋から2008年秋まで)、『みのもんたの朝ズバッ! → 朝ズバッ!』(2010年春から2014年3月まで)にコメンテーターとして出演をしていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北川正恭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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