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北川 町子(きたがわ まちこ、1932年4月8日 - )は、元映画・テレビ女優。本名、北川 好子(きたがわ よしこ)。夫は俳優・タレント・司会者・作家の児玉清。長男は元タレントで児玉清事務所代表兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ社長の北川大祐。東京市(現・東京都)出身。 == 来歴・人物 == 東京市の文房具屋(事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ)の娘として生まれる。兄がいたが戦死した。1949年、高等女学校生の時に新東宝撮影所に見学に行った際に、製作主任の大村完三に勧められ、学校を中退して総芸プロに入り女優となる。翌1950年1月、東宝へ移籍する。1953年、杉江敏男監督に抜擢され、『逃亡地帯』に主演の三國連太郎の情婦役を演じる。この作品から本名の好子から北川町子へ改名した。以降、妖艶な顔立ちを生かした役柄をこなし、東宝の中堅女優として活躍した。 1964年に同じ東宝の俳優だった児玉清と結婚(児玉は北川家に婿入り)、ほどなくして女優業を引退した。一男一女を授かった。息子は北川大祐で、一時期、児玉大輔や北川大輔、本名でタレントとして活動していたが、後に引退して会社員をしている。娘は死去まで夫のマネージャーを務めていた。 児玉の著書『負けるのは美しく』(集英社、2005年)の「見エザル神ノ手」の章に結婚に至った経緯が書かれているが、知り合ったのは1964年のテレビドラマ『サラリーマン義経君奮戦記』の京都ロケへ向かう車中であった。東宝撮影所演技課から京都に一人で行けない女優がいるので一緒に行ってほしいと頼まれ、やむなく引き受けたところ、スクリーンで知っている「コケティッシュでちょっと姉御肌の伝法な女性」という印象と全く違って、真面目で控えめで感じがよく、相性がいいのか居心地よく感じたという。その4ヵ月後に結婚することになるのだが、父親を数年前に亡くして母親と2人暮らしだった北川とのデートは、いつも母親か叔母との3人だったという。なお、北川の児玉清の第一印象は、「なんておしゃべりな人なんだろう」だった。結婚後、女優を辞めるに際しては、当時は中堅女優と売れていない俳優との組み合わせだったために、会社からばかりではなく俳優仲間からも惜しまれたという。中でも女優の賀原夏子からは児玉に「私の大好きな女優の一人だったのよ。やめちゃうなんて本当に残念だわ。彼女が復帰する気持ちになったら、真っ先に私に知らせてね。残念、残念だわ」と言われて複雑な心境になったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北川町子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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