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北川金三郎 : ミニ英和和英辞書
北川金三郎[きたがわ きんざぶろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
: [み]
  1. (num) three 

北川金三郎 : ウィキペディア日本語版
北川金三郎[きたがわ きんざぶろう]
北川 金三郎(きたがわ きんざぶろう、1880年12月26日 - 1960年)は青森ねぶたのねぶた師で初代名人。
明治13年12月26日に鍛冶町の桶屋の三男として生まれる。左官業を営みながら同郷のねぶた師である坂田金作に弟子入りしてねぶた作りを学び、早くに一本立ちしたと伝わる。初期には師匠の作風を厳密に踏襲していたが、それだけでは満足しなかったようであり、その後大幅な改良を加え、自らの考えるねぶたの理想像というものを目指し技術向上を図った。
戦後、ねぶたが復興へと向かうに当たって金三郎は当時既に60代後半という高齢ながら第一人者として尽力し、「北川のジサマ」と呼ばれ多くのねぶた師に尊敬される存在であった。その中で金三郎は今でも知られる大きな功績を遺した。それまで竹を骨組みに用い、中の燈火には蝋燭を用いていたねぶたを、骨組みに針金を用い、中の燈火に電球蛍光灯を用いることで近代的なものへと進化させ、さらに従来では不可能だった指を1本1本作る(それまでは指は全て一体で作り、1本1本は墨の書き割りで表現するものであった)といった細かな造りも可能とした。この斬新な造り方に一部では反発もあったと言われるが、やがて定着した。ただし当時はまだ竹と針金の併用であり、大まかな部分は竹で作り、細かい部分は針金で作るという手法だった。また面(顔)の作りも骨組を縦1本横3本という基本構造を生み出し、後に佐藤伝蔵が骨組を増やす手法を開発するまでは標準とされる手法を確立した。
田村麿賞(現在のねぶた大賞)制定前のねぶた師であるために受賞歴は無いが、昭和32年(1957年)に制作した「勧進帳」は最高傑作として名高い。昭和33年(1958年)を最後にねぶた制作を引退するが、同年8月22日にそれまでの功績を讃えられ初代ねぶた名人位を贈られる。昭和35年(1960年)に亡くなる。
後継者の育成にも尽力した人物であり、弟子として息子で2代名人の北川啓三をはじめとする多くのねぶた師を育てた。晩年の弟子(金三郎引退後は啓三が引き継いだ)には後の3代名人である佐藤伝蔵がいる。また6代名人の北村隆は啓三を師匠としており、金三郎の孫弟子にあたる。
== 出典 ==

* ねぶた名人



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北川金三郎」の詳細全文を読む




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