|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 北 : [きた, ほく] (n) north ・ 斗 : [ます, と] 【名詞】 1. (1) measure 2. unit of volume ( 1. 8l) 3. (2) square container, e.g., a box 4. (3) square on a grid 5. cell of a grid ・ 龍 : [りゅう] 1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
北斗龍 定裕(ほくとりゅう さだひろ、1971年3月16日 - )は、北海道函館市出身で、山響部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は丸山 定裕(まるやま さだひろ)。身長181cm、体重121kg、血液型はO型〔ベースボール・マガジン社刊 相撲 2014年5月号(夏場所展望号)別冊付録 『平成26年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑』 22頁〕。最高位は東三段目53枚目(1995年5月場所)。 == 人物 == 1986年3月場所初土俵で、同期生には同部屋の巌雄のほか、若隼人、豊富士、嵐、山中山らがいる。初めて番付表に名前が載った翌5月場所から北斗龍に改名。4年後の1992年7月場所で三段目に昇格し、1995年5月場所で自己最高位を更新して三段目中位まで番付を上げたが、翌7月場所を最後に現在まで三段目からは遠ざかっている。 近年は糖尿病に苦しみ、序二段中位から序ノ口での土俵となっている。栃天晃が引退した翌場所の2011年7月場所からは現役最古参力士となっている。同期の華吹が年上のため、現役力士の中では2番目の年長者である。また、初土俵以来の通算連続出場記録も、2014年3月場所終了時点で関取未経験者では最長の1169まで伸びていたが、この場所直後に糖尿病のために壊死した右足親指を切断する手術を受けて入院したため〔【乾坤一筆】43歳北斗龍が土俵に立ち続ける理由 SANSPO.COM 2015年2月25日(2015年12月2日)〕、2014年5月場所で入門以来初めての休場(全休)となり、28年間延ばし続けた連続出場記録は止まった。連続出場記録が止まった時点では、関取経験が無いにも関わらず現役力士の中では1位の記録だった。6月に退院したが、序ノ口に落ちた7月場所には出場できず、9月場所では初土俵以来の番付外転落。この場所から復帰し、前相撲を取って2勝4敗で再出世した〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲 2014年10月号(秋場所総決算号) 109頁〕。 現在は、部屋ではちゃんこ長として料理の腕を振るっている。また、師匠北の湖の停年(定年。以下同)退職(2018年5月場所)までは現役を続けることを目標としていたが〔、しかし北の湖は停年を迎えられずに2015年11月場所中に死去し、死去当日は報道陣に対応する姿も見られた〔北の湖部屋・北斗龍「頑張ったと思う。察していただければ」 スポニチアネックス 2015年11月21日(2015年12月2日閲覧)〕。これに伴って北の湖部屋という名前は存続できなくなったため、同年11月23日付で所属が山響部屋に変わった〔山響親方が北の湖部屋継承 名称は「山響部屋」に変更 スポニチアネックス 2015年11月30日(2015年12月2日閲覧)〕。また、新たな師匠となった20代山響は同学年で同期入門の元・巌雄である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北斗龍定裕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|