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北村協一 : ミニ英和和英辞書
北村協一[きたむら きょういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [きょう]
  1. (n-suf,n-pref) cooperation 
: [いち]
  1. (num) one 

北村協一 : ウィキペディア日本語版
北村協一[きたむら きょういち]

北村 協一(きたむら きょういち、1931年9月9日- 2006年3月13日)は、日本指揮者オペラ合唱の分野で活躍した。
==経歴==
大阪にて次男として生まれる。少年時代に戦争が激化し、小倉高知に疎開し生活する。その後地元大阪へ戻り、1950年関西学院大学経済学部に入学。在学中は関西学院グリークラブの学生指揮者として活躍した。卒業後は福永陽一郎の誘いを受けて東京コラリアーズに歌手として入団し、後に指揮者として活躍。1960年には藤原歌劇団に入団。藤原歌劇団退団後、1968年からは二期会合唱団常任指揮者、1970年には二期会合唱団専属指揮者となる。指揮法を森正、打楽器を今村征男に師事。
2006年3月13日肺癌のため逝去。享年74。最後のステージは同年2月26日に行われた「第74回関西学院グリークラブリサイタル」における、関西学院高等部グリークラブ関西学院グリークラブ新月会の合同演奏で、多田武彦作曲の男声合唱組曲「雨」(厳密にはステージアンコールの「雨」~草野心平の詩から)。大勢の観客が見守る中での車椅子の指揮であった。
== 人物 ==
合唱では、特に黒人霊歌の指導と指揮に実績があった。多田武彦作品の大半を指揮し、作曲家本人も絶大な信頼を寄せていた。また、新作の初演や、歌曲オペレッタミュージカルなどの編曲を通して特に男声合唱女声合唱のレパートリー拡大のために努めた(主要初演作品リスト 主要編曲作品リスト を参照)。福永陽一郎とともに男声合唱団のために編纂した『グリークラブアルバム』(全3巻。北村が編纂したのは1と3)には彼がアレンジした曲が数曲含まれている。
指揮者と同時に、優れた教育者でもあり、沢山の優秀な弟子を輩出した。
神戸市混声合唱団主席指揮者、TOKYO FM少年合唱団主席指揮者、関西学院グリークラブ技術顧問、新月会会長、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団客演指揮者、立教大学グリークラブ指揮者、アラウンドシンガーズ音楽監督、日本指揮者協会会員、日本演奏連盟会員を務めると共に、多くの学生・一般合唱団の指揮・指導にあたった。また、彼の指揮による録音も多数行われた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北村協一」の詳細全文を読む




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