翻訳と辞書
Words near each other
・ 北村泰一
・ 北村泰宏
・ 北村浩一
・ 北村浩子
・ 北村浩平
・ 北村海斗
・ 北村淳
・ 北村清士
・ 北村清士 (郷土史家)
・ 北村湖元
北村湖春
・ 北村源三
・ 北村照文
・ 北村燦來
・ 北村益
・ 北村直人
・ 北村真平
・ 北村知隆
・ 北村祐子
・ 北村祐庵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

北村湖春 : ミニ英和和英辞書
北村湖春[きたむら こしゅん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [みずうみ]
 【名詞】 1. lake 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

北村湖春 : ウィキペディア日本語版
北村湖春[きたむら こしゅん]
北村 湖春(きたむら こしゅん、慶安3年(1650年) - 元禄10年1月15日1697年2月6日))は、江戸時代前期から中期にかけての歌人俳人北村季吟の子。名は季順。
== 生涯 ==
北村家は近江国野洲郡祇王村字北(現滋賀県野洲市)を本願とし、代々医者であった。湖春の父季吟は寛永元年(1624年)に祇王村で生まれ当初は医を生業としていたが、俳諧に関心を持ち、寛永19年(1642年)京の松永貞徳に弟子入りし俳諧を学んだ〔「近江の先覚」 P139「北村季吟」の項(滋賀県教育会 1951年)〕。
湖春は、父季吟が貞徳門下にいた慶安3年(1650年)に京都で生まれた〔「評伝俳諧二百年史 元禄之巻」(斎藤渓舟著 隆文館 1911年)〕(「日本人名大辞典」(講談社)では慶安元年(1648年)生まれとする)。三男六女の嫡子で通称を久太郎(または休太郎)と称した〔「野洲郡史 下巻」 P669「人物 北村湖春」の項(野洲郡教育会 1927年)〕。長じて父季吟に師事し俳諧・詩を学び、万治2年(1659年)には早くも季吟が主宰する古今伝授饗宴の俳諧に出座し、20歳のとき父の命で句集「続山井」を編集、以後季吟俳壇の実務をとり著作刊行の補佐を行った〔「日本人名大辞典」(講談社 デジタル版)〕。
寛文12年(1672年)幕府に召しだされ父季吟と共に江戸に下る〔。その後父と共に祇王村に戻る。父季吟が京新玉津島社の神官となる天和年間(1681年-1684年)以降、湖春は近江に留まり俳諧堂を主宰した〔。元禄2年(1689年)父季吟と共に再度幕府に召し出され〔、江戸に移住し幕府歌学方に奉仕し歌果院と号す〔「俳家百哲名句と逸話」(武谷糺之編 泰山堂書房 1925年)〕。湖春は父季吟とは別に俸禄200俵を幕府より役料として賜る〔。以降、代々北村家が幕府歌学方を差配するが、湖春は元禄10年1月15日(1697年2月6日)父に先立ち死去し、上野下谷の感応寺に葬られる〔。蕉門内では俳諧の風潮は父季吟より優れると評された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北村湖春」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.