翻訳と辞書
Words near each other
・ 北条国時
・ 北条城
・ 北条基時
・ 北条塚古墳
・ 北条大石寺
・ 北条大輔
・ 北条夫人
・ 北条孫九郎
・ 北条守時
・ 北条宗兼
北条宗宣
・ 北条宗房
・ 北条宗政
・ 北条宗方
・ 北条宗時
・ 北条宗時 (時頼の子)
・ 北条宗時 (遠江守)
・ 北条宗泰
・ 北条宗長
・ 北条宗頼


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

北条宗宣 : ミニ英和和英辞書
北条宗宣[ほうじょう むねのぶ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

北条宗宣 : ウィキペディア日本語版
北条宗宣[ほうじょう むねのぶ]

北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ)は、鎌倉時代後期の北条氏の一門。大仏 宗宣(おさらぎ むねのぶ)とも称される。鎌倉幕府第11代執権(在職:応長元年10月3日1311年11月13日) - 正和元年5月29日1312年7月4日))〔。
== 生涯 ==
北条宣時(大仏宣時)の子。大仏家の総領として、弟や子らと共に、幕府の要職を歴任した。元服時に得宗家当主の北条時宗より一字を賜り、宗宣と名乗る〔山野龍太郎論文、脚注(27)(山本、2012年、p.182)。尚、「宣」の字は父・宣時より受け継いだものとみられる。〕。
弘安9年(1286年)に引付衆永仁5年(1297年)から六波羅探題南方に就任し、乾元元年(1302年)まで在京。嘉元の乱においては得宗の北条貞時(第9代執権(前執権)、時宗の子)の命令で北条宗方を討った〔。
嘉元3年(1305年)7月22日、その戦功により連署となる〔。応長元年(1311年)9月22日、執権であった北条師時の死去により、10月3日に連署から昇格して第11代執権に就任した〔〔 永井、2003年、p.73。〕。貞時と対立した宗宣の執権就任は貞時がすでに病身だったためと思われる。しかし幕政は内管領長崎円喜に実権を握られ、政治をみることができなかった〔。正和元年(1312年)、執権職を北条煕時に譲り出家した。正和元年(1312年)6月12日に死去〔。享年54。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北条宗宣」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.