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北条 斎時(ほうじょう なりとき〔正確な読み方は史料がなく不明であるが、細川、2011年、P.65に掲載の振り仮名に従っておく。〕)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武将。北条氏の一門。伊具流・北条通時の子〔(異説として伯父の北条時基を父とする系図もある〔)。初名は時高(ときたか)〔。改名後の名は「齊時」(新字体:斉時)とも表記される〔。 == 概略 == 嘉元元年(1303年)4月11日、42歳で七番引付頭人、翌2年(1304年)六番引付頭人、同年12月7日、五番引付頭人、嘉元3年(1305年)、四番引付頭人を務める。延慶2年(1309年)、48歳で時高から斎時(斉時)に改名する〔改名については『尊卑分脈』に書かれており、徳治2年(1307年)1月28日の引付改編までは「時高」、延慶2年(1309年)3月15日の引付改編の段階では「斎時」と名乗っていたことが確認される(『鎌倉年代記』)。同じく延慶2年には得宗家嫡子の北条高時が元服しており(『鎌倉年代記』)、その「高」の字を避けての改名とみられる(→避諱、細川・2000年・巻末「基礎表」P.45・46)。但し、子の高有に関しては逆に高時の偏諱を受けているようである。この時代は「得宗(高時)→御家人」に「高」の字が授与される図式が成立していたことが近年の研究で指摘されている(角田朋彦 「偏諱の話」(再興中世前期勉強会会報『段かづら』三・四、2004年、p.21))。〕。同年3月15日、五番引付頭人、同8月、四番引付頭人。応長元年(1311年)10月25日、三番引付頭人、正和2年(1313年)7月26日、二番引付頭人。 文保元年(1317年)12月27日、56歳で二引付頭人を辞任。元徳元年(1329年)9月3日、68歳で没。 斎時の家系は鎌倉幕府二代執権・北条義時の四男・北条有時を祖とする伊具流〔で、祖の有時以降、幕府要職を務めたのは、有時の孫である斎時のみである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条斎時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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