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北条時範 : ミニ英和和英辞書
北条時範[ほうじょう ときのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
: [はん]
 【名詞】 1. example 2. model 

北条時範 : ウィキペディア日本語版
北条時範[ほうじょう ときのり]
北条 時範(ほうじょう ときのり、文永元年(1264年) - 徳治2年8月14日1307年9月11日))は、鎌倉時代中期の北条氏一門。極楽寺流の支流・常盤流。父は北条時茂。母は北条政村の娘。通称は陸奥三郎。「陸奥」は父時茂の官途に由来するものだが、三男であったかは不明。子に範貞高範がいる。『吾妻鏡』の弘長3年(1263年)の記事に、時茂の妻が妊帯し、若宮僧正が加持祈祷を行った記述があり、この腹の子が時範だと推測される。
弘安8年(1285年)、従五位下、左馬介に叙位され、同10年(1287年)に引付衆の一員となる。翌正応元年(1288年)、備前守に叙任。
永仁3年(1295年)には引付評定への参加を許された。同5年(1297年)に従五位上に昇進し、嘉元元年(1303年)、北条基時の後任として六波羅探題北方に就任。翌2年(1304年)、遠江守に補任される。
徳治2年(1307年)、正五位下に任ぜられたが、同年8月六波羅探題在任中のまま京都で死去した。
他の北条一族同様和歌にも親しみ、『新後撰和歌集』に歌が二首収録されている。宇都宮景綱の私家集『沙弥蓮愉集』には、景綱が時範の屋敷で催された花見の席で歌を読んだ記述がある。『系図纂要』では38歳、『武家年代記』では65歳で没したと記されているが、父時茂の経歴や官途叙任の年代の整合性から『北条系図』の享年44が最も信頼の置ける情報とされている。
== 参考文献 ==

*北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北条時範」の詳細全文を読む




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