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北条 時行(ほうじょう ときゆき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将である。 鎌倉幕府最後の得宗北条高時の遺児。鎌倉幕府残党を糾合して北条氏復興のため中先代の乱を引き起こし、一時鎌倉を奪還した。遂には足利方に捕らえられ処刑されたと伝わる。 ==鎌倉幕府滅亡== 幼名を亀寿丸という。母は安達時顕の娘・二位局。 1333年、新田義貞による鎌倉攻めが行われ、執権北条高時を始め北条一族は皆自害し、鎌倉幕府は滅亡したが、時行は母によって鎌倉から抜け出し、難を逃れていた。兄北条邦時も鎌倉から脱出して潜伏していたが、家臣の裏切りによって朝廷方に捕らえられ処刑されている。 1335年、北条一族である北条泰家や鎌倉幕府の関係者達が北条氏の復興を図り、旗頭として高時の忘れ形見である時行に白羽の矢が立つ。泰家は得宗被官諏訪盛高に亀寿丸を招致するよう命じた。盛高は二位局の元へ赴き、家臣に裏切られ処刑された兄邦時の話を持ち出して、「このままだと亀寿丸様もいつその首を手土産に我が身を朝廷に売り込もうと考える輩に狙われるか分かりませぬ」などと脅して二位局らを困惑させている隙に時行を強奪して連れ去ったと「太平記」には記載されている。その後二位局は悲観して入水自殺したという。 時行は北条氏が代々世襲する守護国の一つであった信濃に移り、ここで諏訪家当主である諏訪頼重に迎えられ、その元で育てられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条時行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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