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北条 業時(ほうじょう なりとき)は鎌倉時代中期から後期にかけての北条氏の一門。鎌倉幕府の六波羅探題北方・連署である北条重時の四男。普音寺流北条氏の租。母は側室の筑前局。桓武平氏諸流系図や関東閨閥皇代並年代記事所蔵の「北条系図」によると、初めは重長と名乗っていた。 兄弟の序列では年下の異母弟・義政の下位に位置づけられ、義政が四男、業時が五男とされた。8代執権北条時宗の代の後半から、義政遁世後に空席となっていた連署に就任し、9代執権北条貞時の初期まで務めている。同時に、極楽寺流内での家格は嫡家の赤橋家の下、異母弟の業時(普音寺流)より、弟の義政(塩田流)が上位として二番手に位置づけられていたが、義政の遁世以降、業時の普恩寺家が嫡家に次ぐ家格となっている。 == 経歴 == ※日付=旧暦 *1259年(正元元)4月7日、従五位下に叙し、弾正少弼に任官。7月27日、左馬権頭に遷任。 *1265年(文永2)6月11日、幕府の引付衆と就る。 *1266年(文永3)、引付衆退任。 *1269年(文永6)、引付衆再任。 *1276年(建治2)3月、評定衆に異動。 *1277年(建治3)5月18日、越後守に遷任。8月29日、三番引付頭人を兼帯。 *1280年(弘安3)11月4日、駿河守に遷任。 *1281年(弘安4)、三番引付頭人から一番引付頭人に異動。 *1283年(弘安6)4月16日、連署に異動。7月20日、従五位上に昇叙。駿河守如元。9月26日、正五位下に昇叙。駿河守如元。 *1284年(弘安7)8月8日、陸奥守に転任。 *1287年(弘安10)6月18日、出家。6月26日、卒去。享年47。法名:普恩寺全念。また、鑑忍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条業時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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