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北海道中央バス株式会社(ほっかいどうちゅうおうバス)は、北海道の道央圏を中心にバス事業などを行う企業。札幌証券取引所単独上場銘柄のひとつである(証券コードは9085)。本社機能は小樽市と札幌市に分けられるが、対外向けには本店が置かれる小樽市を本社所在地としている。 後志・石狩・空知地方のバス事業者が統合し発足。2013年(平成25年)3月現在の路線免許キロは5,217 km〔、路線数は282路線・681系統〔、車両数は貸切バスを含めて1,189台〔で、路線バス車両数は北海道内3,657台中約3割を占め、北海道内では最大規模のバス事業者である。 組織形態は監査役設置会社である。また執行役員制度を採用している。 == 歴史 == === 発足まで === 後志・石狩・空知地方では大正から昭和初期にかけてバス事業者が次々と誕生した。1933年(昭和8年)10月1日の自動車交通事業法施行までは書類さえ揃っていればよいという状況で需給状況は勘案されていなかったことから、小樽・札幌市内や主要駅と周辺村落をバスで結ぶために事業者が乱立状態となった。3支庁管内の1932年(昭和7年)末時点でのバス事業者数は40を超え、廃業・譲渡も多く経営の移り変わりが絶えなかった〔『二十五年史』 pp. 17 - 18〕。 鉄道大臣の八田嘉明は1942年(昭和17年)、人手や物資の不足が顕著となったことからバス事業者を統合する方針を表明。これを受けた北海道庁は同年10月12日、北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱(いわゆる戦時統合)を発表。道内を7地域に分け、各地域で1社に統合する準備が進められた〔『二十五年史』 pp. 26 - 30〕。 後志・石狩・空知地方はこの時点で22事業者〔後志管内では、函館乗合自動車(渡島・檜山)や道南乗合自動車(胆振・日高)へ統合された事業者もあり、支庁区域と統合区域は必ずしも一致しない。〕があり、札幌市が経営する事業は規模や官と民の違いなどから対象外とされ〔『二十五年史』 p. 30〕、残る21事業者での統合が進められることとなった。資産や営業権の評価などに時間がかかり、特に鉄軌道兼営事業者はバス事業を切り離すことによって鉄軌道の経営に影響が出る恐れもあり、統合ではなく休止、あるいは統合除外の希望があり難航したが、当局の調整もあって1943年(昭和18年)2月7日、21事業者はバス事業を新会社へ譲渡することを決議した。同年3月1日に北海道中央乗合自動車株式会社として仮営業を開始〔『二十五年史』 pp. 36 - 37〕。鉄道省の混乱から正式な譲渡認可日は同年12月1日、運輸開始日は1944年(昭和19年)1月27日となった〔『二十五年史』 p. 68〕。 ; 設立時の概要 : * 本社所在地:北海道小樽市稲穂東3丁目29〔『二十五年史』 p. 67〕 : * 資本金:135万円〔『二十五年史』 p. 66〕 : * 事業所: : * 小樽支社 - 営業所(小樽、赤井川、泊、寿都、磯谷)、整備工場(小樽)〔 : * 札幌支社 - 営業所(札幌、豊平、厚田、夕張、江別、長沼、美唄、滝川、芦別)〔 : * 車両数:175台〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北海道中央バス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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