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北海道北見バス : ミニ英和和英辞書
北海道北見バス[ほっかいどうきたみばす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
北海 : [ほっかい]
 【名詞】 1. northern sea 2. North Sea 
北海道 : [ほっかいどう]
 【名詞】 1. northernmost of four main islands of Japan 
海道 : [かいどう]
 【名詞】 1. sea route 

北海道北見バス : ウィキペディア日本語版
北海道北見バス[ほっかいどうきたみばす]

北海道北見バス株式会社(ほっかいどうきたみバス)は、北海道北見市に本社を置きオホーツク管内を中心にバス事業等を行う企業である。
太平洋戦争最中に網走管内のバス事業者統合により発足した北見乗合自動車株式会社が前身で、北見バス株式会社の自主再建断念によるバス事業の受け入れ先として設立された。
== 歴史 ==

=== 旧・北見バス ===
網走管内では大正末期から昭和初期にかけてバス事業者が次々と誕生したが、設備が不十分で規模も小さく、物資不足の影響などもあり計画通りに運行できないことが多かった。北海道庁1942年(昭和17年)10月12日北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱(いわゆる戦時統合)を発表。乱立気味であったバス事業者を7地域に分け、各地域で1社に統合する準備が進められた。網走管内はこの時点で13の事業者があり、このうち12事業者が統合し北見乗合自動車株式会社が誕生。1943年(昭和18年)5月7日に譲渡譲受が認可となり、同年5月28日より営業を開始した〔『北見現代史』 p981〕〔『創業記念 北見バス20年』 p6〕。
設立時の会社概要〔『北見現代史』 pp981, 987〕〔『創業記念 北見バス20年』 pp16 - 20〕〔『遠軽町百年史』 pp427 - 428〕
: 本社所在地:北海道北見市大通西6丁目874
: 資本金:35万円
: 従業員数:64人
: 車両:32台〔〔北海道バス協会 北海道のバス事業 - 歴史的な大統合 では43台となっている。〕。
: 営業所:北見営業所、留辺蘂営業所、温根湯営業所、佐呂間営業所、常呂営業所
被統合事業者(所在地)
* 野付牛自動車株式会社(北見市)
: 1931年(昭和6年)3月に旭タクシーと野付牛自動車商会が合併し設立。野付牛(現・北見)から留辺蘂、津別、常呂、端野までの路線バスや観光バスを運行した。北見乗合自動車の母体となった会社である。
* 湧別自動車合資会社(下湧別村
: 1922年(大正11年)より個人が下湧別から上湧別まで運行。後に計呂地13号、沼の上へも走らせた。1933年(昭和8年)に後に北見バス社長となる多田倍三により買収され合資会社が発足。多田は1941年(昭和16年)6月に遠軽自動車、丸瀬布自動車、生田原自動車を買収し参加にしている〔『創業記念 北見バス20年』 p17〕〔『遠軽町百年史』 p427と『丸瀬布町史 下巻』 p1062では「遠軽が母体、湧別・丸瀬布・生田原が傘下」となっている。〕。
* 遠軽自動車合資会社(遠軽町
: 昭和初期に個人が遠軽から上芭露まで運行。1931年(昭和6年)には遠佐自動車合資会社を組織し芭露・富武士まで延長したほか、遠軽駅前から奥社名淵までも運行。1937年(昭和12年)より遠軽自動車でも遠軽から芭露、奥社名淵までで運行した。1941年(昭和16年)6月より両社統合の上で湧別自動車の傘下となる〔〔。
* 丸瀬布自動車合資会社(遠軽町)
: 昭和初期より丸瀬布から鴻之舞まで運行。1941年(昭和16年)6月より湧別自動車の傘下となる〔〔。
* 生田原自動車合資会社(生田原村
: 1926年(大正15年)より個人が下生田原(現・安国)から中佐呂間(現・佐呂間)まで運行。1931年(昭和6年)に常呂まで延長された後に合資会社を設立しトラックやハイヤーの運行も行った。1941年(昭和16年)6月より湧別自動車の傘下となる〔〔。
* 佐々木自動車合資会社(紋別町
: 大正末期に個人が紋別から鴻之舞まで運行。1938年(昭和13年)2月4日に合資会社を設立している。
* 合資会社温根湯自動車会社(留辺蘂町
: 1919年(大正8年)9月15日に個人が網走管内で初めてバス事業を開始。温根湯から野付牛までの免許を得たが、悪路により留辺蘂まで運行するのがやっとの状態で、留辺蘂と野付牛の間は一度も運行できなかった。石北東線開通前の1925年(大正14年)には遠軽駅から丸瀬布までも運行。1927年(昭和2年)に同区間が開通したことから丸瀬布から白滝までに変えて1932年(昭和7年)まで運行された。1931年(昭和6年)に温根湯と留辺蘂の間で競合運行していた別個人と合併し合資会社を設立。同年には滝上村に進出し北見滝ノ上から札久留、本流までの運行を行ったが1933年(昭和8年)に撤退している。
* 留辺蘂自動車株式会社(留辺蘂町)
: 個人が1927年(昭和2年)より留辺蘂から中佐呂間まで運行。1929年(昭和4年)に路線免許や車両等すべてを留辺蘂自動車へ譲渡し、自らが社長となって引き続き運営された。
* 菊池自動車(置戸村
: 個人が1937年(昭和12年)より置戸から上置戸(現・勝山)までを運行。自らハンドルを握ったが、応召によって休止となった後に戦病死したことから1942年(昭和17年)に別個人が相続し再開。さらに菊池自動車への売却を経ている。
* 三株式会社網走自動車商会(網走町
: 個人が1928年(昭和3年)頃より網走から常呂までを運行。同じ頃に三合名会社網走自動車商会が網走市街線を運行した。1935年(昭和10年)に合併し株式会社化され、トラックやハイヤーの運行も行われた。
* 藻琴乗合合資会社(網走町)
: 1926年(大正15年)7月頃より東藻琴から藻琴までを運行。トラック事業も行っていた〔『東藻琴村史第二巻』 p359〕。
* 横道自動車(小清水村
: 北見鉄道が1938年(昭和13年)8月8日よりバス事業を開始したが、鉄道廃止を経て1940年(昭和15年)3月4日に横道自動車へ事業譲渡。小清水から止別、古樋(現・浜小清水)、札鶴(現・札鶴)までを運行した。
美幌自動車合資会社(美幌町)は、1929年(昭和4年)4月1日より個人が美幌市街線を運行。1934年(昭和9年)3月には野付牛自動車から出資を受けて合資会社を設立。この他に弟子屈村の合資会社畑江工業が弟子屈から美幌峠を越えて美幌まで運行していた。美幌自動車は釧路市の東邦交通(現・くしろバス)が統合先となり、1944年(昭和19年)4月15日に東邦交通美幌営業所へ変更。分社を経て阿寒バス美幌営業所として営業を行う。
路線:
* 運行:北見 - 留辺蘂・端野一区・常呂、留辺蘂 - 温根湯・中佐呂間、常呂 - 中佐呂間、下湧別 - 上湧別、中湧別 - 上芭露、置戸 - 上置戸、網走市街甲、東藻琴 - 藻琴、小清水 - 古樋、丸瀬布 - 鴻之舞、紋別 - 鴻之舞
* 休止:北見 - 津別、遠軽 - 中佐呂間・芭露・奥社名淵、網走市街乙、網走 - 常呂、小清水 - 札鶴

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北海道北見バス」の詳細全文を読む




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