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那須温泉郷(なすおんせんきょう)は、栃木県那須郡(旧国下野国)那須町(一部は那須塩原市)に散在する温泉の総称(温泉郷)である。日光国立公園内の那須岳南麓に位置する。同じ那須岳南麓には皇室が静養に訪れる那須御用邸がある。 == 歴史 == 栃木県那須郡那須町湯本に鎮座する温泉神社は延喜式神名帳にある下野国那須郡温泉(ゆの)神社の論社として知られ、同社社伝(伝承)に基づくと那須温泉の開湯(鹿の湯)は飛鳥時代の西暦630年となる〔塙静雄著 「とちぎの社寺散歩」(下野新聞社、2003年)〕〔那須温泉神社 社伝〕。 那須は「温泉神社(おんせんじんじゃ、ゆぜんじんじゃ)」や「湯泉神社(ゆぜんじんじゃ)」など温泉を祀る社が80社ほどある温泉信仰の極めて篤い地域であり、六国史のひとつである『日本三代実録』には従四位上勲五等下野国温泉神の記述が見られ、平安時代の西暦863年(貞観5年)頃までに、日本政庁にとっての重要温泉場のひとつに位置付けられていたことが分かる〔『日本三代実録』貞観五年十月七日 丙寅の条〕〔『日本三代実録』貞観十一年二月二十八日 丙辰の条〕。 なお、これより遡る奈良時代の西暦738年(天平10年)には、従四位下の小野牛飼が湯治で那須湯(なすのゆ)に行くため、従者12人と都から下り駿河国を通った記録が正倉院文書の「駿河国正税帳」に見られ、奈良時代には既に中央官人が那須温泉を湯治場として認知していたことが分かる〔〔正倉院文書「駿河国正税帳」〕。 鎌倉時代に成立した『平家物語』では、源義経の徽下にあり屋島の戦いではその下知を受けた那須与一が敵船上に揺れる扇の的を射当てる際に「南無八幡大菩薩、別にしては我国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の温泉大明神、願わくば、あの扇の真ん中射させてたばせ給え」と祈念した、という説話に「那須の温泉」が登場する〔『平家物語』巻第十 四「那須与一」〕。 江戸時代前期には俳人松尾芭蕉が殺生石を訪れ塩原温泉郷と並んで那須地域の顔となり、江戸時代後期から明治時代に庶民の間で流行した「温泉番付」では、諸々の番付において東の大関草津温泉に次ぐ東の関脇に位置付けられた〔「大日本温泉一覧 廿世紀見立改正新版」(明治四十一年、片田長次郎印刷、東京日本橋区馬喰町四丁目拾番地)〕〔「諸国温泉功能鑑」(墨屋小兵衛、烏丸通松原下町)〕。 太平洋戦争前に鉄道省が出版した「温泉案内」にて那須温泉郷と紹介された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那須温泉郷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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