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北百済村 : ミニ英和和英辞書
北百済村[きたくだらむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [ひゃく]
  1. (num) 100 2. hundred 
百済 : [くだら]
 (n) ancient Korean kingdom (Paekche or Kudara)
: [すみ]
 【名詞】 1. arranged 2. taken care of 3. settled
: [むら]
 【名詞】 1. village 

北百済村 : ウィキペディア日本語版
北百済村[きたくだらむら]

北百済村(きたくだらむら)は、かつて大阪府住吉郡東成郡に存在した村。
現在の行政区では、大阪市東住吉区杭全、今川、今林、桑津にあたる。
== 概要 ==

*1889年(明治22年)4月1日、住吉郡の新在家村、今在家村、今林村、桑津村が合併し、北百済村が発足し、1925年(大正14年)4月1日、大阪市第2次市域拡張により大阪市住吉区に編入されるまで存在した村である。
*東成郡の中央よりやや東南に位置し、東西約13町(約1.4km)、南北約20町(約2.1km)、面積0.1233方里(1.9平方キロメートル)の区域であった。東は平野郷町中河内郡巽村、西は田辺町天王寺村、北は生野村、南は南百済村とそれぞれ接していた。村内には「新在家」、「今在家」、「今林」、「桑津」の4の大字と52の小字が存在した。現在の地形とほぼ同じく村全域に平地で中央に南北に通る今川堤があり、その東に今川、西に駒川が流れていた。江戸時代(平野郷の散郷だった頃)から純農村地域で村民は農業従事者が大部分を占め、『東成郡誌』には「地勢平坦。地味は乾田多く攘土にして米作に適せり。」、「本村は古来純農村にして今に農業は本村の大部を占む」、「主要農作物は米麦とす」との記録が残っている。
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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北百済村」の詳細全文を読む




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