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米国仏教団(べいこくぶっきょうだん Buddhist Churches of America - BCA)は、浄土真宗本願寺派のアメリカ合衆国本土における布教組織。本願寺派の海外開教拠点のひとつであり、100年以上の歴史を持つアメリカ大陸最古の仏教組織。本部をサンフランシスコに置く。本願寺派教団内での名称は北米開教区。 == 歴史 == === 開教初期 === 米国仏教団(BCA)の歴史は、19世紀末より増加しだした日系移民に対する教化活動を端緒とする。苦しい生活を強いられていた移民たちからは、異国で自己の信仰の拠り所を求める声が強く、本願寺には移民代表などから僧侶派遣の要請が度々なされていた。ハワイ諸島では、1880年代に既に本願寺派の開教拠点が確立されていたが、アメリカ本土には1898年になってサンフランシスコに本願寺派開教使(師)が着任。1899年にはアメリカ初の仏教寺院が市内の日系移民居住地に建立され、布教活動が本格化した。BCAではこの時を開教元年としている。 その後、日系移民の増加にともなって渡米する僧侶も人員を増やし、開設される寺院・説教所もカリフォルニアの主だった都市に及び、シアトル、オレゴンから中部、アメリカ東海岸の大都市へと教線は拡大を見せていった。 しかし、開教使として渡米する僧侶の多くは一時的な滞在であることが多く、そのため英語能力も充分とは言えず、数年の任期を終えると帰国してしまうことから、布教活動の対象者はもっぱら日系移民とその家族にとどまっていた。布教活動の内容も月々の法座や年中行事以外には、信徒(メンバー)の葬儀、法事などを行うくらいであったため、寺院の外(非日系アメリカ人や他の外国移民)にまで布教が展開されるまでには、まだ時間が必要であった。 一方で、寺院の存在は日系移民社会の形成に一定の役割を担った。20世紀に入ってからもアメリカ白人社会からの日系移民に対する人種差別は根強く、各地のプランテーションで苦しい生活を送っていた移民たちにとって、寺院で開催される定期的な法座は大きな精神的支えともなっていた。BCAでは、仏教青年会(YBA - 後にBCA Youth)、仏教婦人会(BWA)といった組織が作られ、当時のアメリカでも珍しかったボーイスカウトがいち早く結成された。また、寺院内では移民子女に対する初等教育も行われており、日本では近代化の過程で失われていった地域社会の核としての寺院の姿が維持されていた。 他方、アメリカ社会に溶け込もうとする努力も様々に試みられた。キリスト教の教会に倣った日曜礼拝(サンデー・サービス)を行い、賛美歌に倣って西洋音楽による仏教讃歌も盛んに歌われた。寺院建築では外観をキリスト教会に模したり、内部も本堂に畳を置かずに椅子席を導入したり(そもそも畳が入手しづらかった)、布教(説教)に演台を用いるなど、当時の日本では見られない独自の寺院様式が生まれた。(「和洋折衷」の寺院様式は日本にも逆輸入され、今日の浄土真宗寺院に数多く見ることができる。) こうした地道な努力により、第二次世界大戦前頃にはアメリカ社会でも仏教に対する一定の関心と理解が得られ、寺院にも非日系アメリカ人メンバーや、少数ではあったが白人の僧侶も輩出するまでになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米国仏教団」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Buddhist Churches of America 」があります。 スポンサード リンク
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