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北野 幸伯(きたの よしのり、1970年 - )は、国際関係の研究者。モスクワ国際関係大学国際関係学部卒業。メールマガジン『RPE(ロシア政治経済ジャーナル)』創刊者。ロシア連邦・モスクワ在住の日本人である。 == 略歴 == 1970年、長野県松本市に生まれる。長野県松本深志高等学校を卒業後の1990年、19歳のときにソビエト連邦のモスクワに留学。その理由は、当時の最高指導者であるミハイル・ゴルバチョフに憧れたから〔北野幸伯『ボロボロになった覇権国家』6ページ〕。ソビエト連邦外務省付属のモスクワ国際関係大学国際関係学部に入学。翌1991年、ソ連崩壊を経験する。留学当初は大学の寮に住み、1992年からロシア人一家にホームステイする。同年、ロシアで2600%のハイパーインフレーションを体験。1996年に大学を卒業、修士となる。北野は、日本人としては初の卒業生となる〔。この大学は、「外交官およびKGB要員養成所」と呼ばれる。 大学卒業後、カスピ海北西岸・カルムイキヤ自治共和国の大統領キルサン・イリュムジーノフの顧問に就任する。モスクワ国際関係大学にイリュムジーノフのいとこが学んでおり、彼の尽力でイリュムジーノフに会えたという。そして、北野は面接で * 「日本から最新の農業技術を持ってきて、カルムイク共和国を農業大国にする」 * 「観光資源としてチベット仏教を発展させ、日本の仏教界と結びつけることで仏教を大復興させる」 * 「日本企業を呼び込んで投資させる」 以上の3つを話したところ、イリュムジーノフに「是非やってくれ」と言われ、大統領顧問に就任した〔〔北野幸伯『隷属国家日本の岐路』17 - 18ページ〕。 2003年、ウラジーミル・プーチンのブレーンを務めたザンツェフという人物(のちに病没)とともに、日本企業のロシアへの進出を助ける会社『International Most Trading Ltd.』を設立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北野幸伯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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