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北陸線列車雪崩直撃事故(ほくりくせんれっしゃなだれちょくげきじこ)は、1922年(大正11年)2月3日に北陸本線親不知駅 - 青海駅間〔該当区間は2015年3月14日以降はえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインに所属〕の勝山トンネル西口で、雪崩の直撃によって発生した列車脱線事故である。この事故で列車の乗員乗客200名のうち、一般乗客1名、作業を終えた帰路の除雪作業員88名、鉄道職員1名のあわせて90名が死亡した〔。日本国内で発生した雪崩による鉄道事故の犠牲者数では、2015年10月現在に至るまで最悪の数字である〔。 == 事故の経緯 == === 事故の発生 === 親不知(おやしらず)は、飛騨山脈(北アルプス)の日本海側の端に当たり、飛騨山脈の端が海の浸食作用によって断崖となった地形が連なる〔〔。西端の市振(いちぶり)地区から親不知駅のある歌(うた)集落までが親不知、歌集落から東の勝山(かつやま)地区までが子不知(こしらず)と呼ばれており、合わせて親不知子不知(おやしらずこしらず)とも呼ばれ、市振から勝山までは約15キロメートル程の距離である〔〔。断崖絶壁が連なる地形のため、波打ち際を通行しなければならないことから北陸道最大の難所といわれ、さまざまな遭難悲話が伝わっている〔〔〔。 1912年10月15日、北陸線は富山県の泊駅から青海駅まで延伸開業した。親不知・子不知を通る鉄道路線の部分は、当時は単線・通票閉塞式で断続的にトンネルが連なり、断崖と海岸線の間を縫うような形で列車が運行されていた〔〔。 この事故が発生した1922年は雪の多かった年で、海岸沿いに位置する糸魚川町でも「電線で首を吊る」と形容されたほどの多量の降雪があった〔。そのように形容された理由は、軒まで埋まった家から雪の階段を作って戸外に出ると、電線が胸の高さにあって「首を吊る」ような事態になるからであった〔。1月27日の積雪は市振・梶屋敷で1丈(約3.03メートル)余、青海・親不知で9尺(約2.73メートル)余を記録し、1月28日13時頃には親不知駅と青海駅の間で列車が雪崩に乗り上げ、機関車が脱線したが、除雪作業の結果2時間後に復旧した〔。 事故発生当日となった2月3日の天候は、明け方から気温が上昇して雪から雨に変わった〔〔。1922年当時では糸魚川町近辺で2月に雨が降ることは珍しかった上に、夕刻の17時過ぎからは雨脚が強くなった〔〔。このような気象条件は、傾斜面全部の雪が崩落する「全層雪崩」が発生しやすくなるものであった〔〔。 その日の13時30分頃、北陸線の市振駅と親不知駅の間で雪崩が発生したために北陸線は不通となった〔〔。雪崩は本来、山岳地帯で発生する現象であり、海岸地帯ではあまり例がないが、海岸のすぐそばまで山脈が断崖絶壁となって迫る親不知のような地形の場合は、たとえ小規模な雪崩の発生であっても被害が出やすかった〔。そして北陸線は軍事上や物資輸送上で重要な幹線だったため、新潟県知事、鉄道省、そして陸軍省は関係各町村長宛に青年団や在郷軍人分会を動員しての復旧作業を要請した〔〔。除雪作業を徹夜で行うために、糸魚川町の白沢組が近在の集落から募集した作業員約150名と富山駅駐在の乗組貨物掛19名が糸魚川駅から列車に乗って雪崩発生現場に向かった〔〔。糸魚川駅からはさらに臨時の列車が増発され、作業員17名と保線職員が続いて現場に入った〔。 現場での復旧作業は、大雨のためになかなか進展しなかった。当時の蓑笠やわら靴などの防水不完全な装備では着衣の濡れを防止できず、体温を低下させ雪に足を取られてもがく者や雪を被って気を失う者などが続出したため、徹夜での作業は中止された〔〔。作業員たちは帰路につくことになり、糸魚川行きの第65列車に乗車した〔〔。第65列車は6両編成(牽引機関車を除く)で、牽引は蒸気機関車2296(2120形)、次にボギー車のホハユニ(郵便荷物合造客車)8777とホハ7142、その後ろに四輪客車ハフ3432、ハフ1772、ハ1735、ハフ4518という編成だった〔〔。 降り続く雨の中、列車は定刻から22分遅れの19時52分に糸魚川をめざして走り出した〔。深谷トンネルを抜け、勝山トンネル西口にさしかかった時に汽笛を吹鳴した。その瞬間に勝山(標高328メートル)の斜面で全層雪崩が発生し、ボギー車半分と客車のうち2両を直撃した〔。先頭を走っていた機関車と次のボギー車は、すでに勝山トンネル内に入っていて無事だった〔。2両目のボギー客車は、後部3分の2を大破した上に上部がもぎ取られて床に穴が空き、車両の台枠は左側に捻じ曲げられた〔。3両目と4両目の客車の損傷が一番激しく、木造の客室部分は雪崩の威力にひとたまりもなく床部分を残して粉砕された。3両目は台枠と車輪のみがトンネル内に残され、4両目は連結器の部分が5両目に突き刺さる状態になった〔。5両目は4両目に追突状態になったのみで被害は比較的小さく、6両目は無事だった〔。事故で死亡した人の多くは3両目と4両目に乗車しており、負傷者は多くが2両目のボギー客車に乗車していた〔。列車を襲った雪崩は、崩壊面の延長が1500メートル、幅30メートル、体積は約6000立方メートルと推定され、乗っていた人々の多くが雪の下に消えてしまった〔〔。 事故の原因となった雪崩の発生原因については、事故当時の調査報告書には記載されていない〔。『事故の鉄道史』でこの事故について取り上げた佐々木冨泰は、豪雪による積雪が季節外れの大雨と気温上昇によって緩んでいたところに、列車が吹鳴した汽笛が引き金となって発生したものと推定している〔〔。事故に遭った列車の客車は強度の弱い木製だったため、雪崩の衝撃によって粉々に破壊され、被害が大きくなった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北陸線列車雪崩直撃事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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