|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 医 : [い] 1. (n,n-suf,vs) medicine 2. the healing art 3. doctor 4. cure 5. healing 6. quenching (thirst) ・ 師 : [し] 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend ・ 招請 : [しょうせい] 1. (n,vs) calling together 2. invitation ・ 事 : [こと] 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience ・ 事件 : [じけん] 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal ・ 件 : [くだん, けん] 【名詞】 1. matter 2. case 3. item
医師招請事件(いししょうせいじけん)は、11世紀の日本と高麗との外交事件。 == 概要 == 『朝野群載』によれば承暦3年(1079年)11月、高麗王文宗が大宰府に書状を送った。この書状は高麗の外交部署、礼賓省によるもので、「王則貞に預けて日本に届けさせる」と記述され、「王は数年前から風疾(中風)を患っているため、名医を送ってもらいたい。治療に効があれば褒賞を与える。とりあえず、錦と麝香などを送り、信頼の象徴としたい」との内容を盛り込んでいる。書状は翌4年2月に京都に届けられ、4月の朝議で検討された。 当初は派遣する方向で話が進み、当代一の名医丹波雅忠の名が挙がったが、これほどの人材を失うことはできないと、その子忠康か、雅忠に次ぐ惟宗俊通を送ることとなった。しかし、高麗書状の文面が、皇帝から服属国への書式で書かれていたことが問題になった。閏8月には、もし治療効果がなければ国の恥ではないかとの意見が出て、『続古事談』によれば源経信の「高麗王が病死しても、日本には何の問題もない」との意見で大勢が決まったという。これは実際には源俊実の発言である。 断りの返信は大江匡房が起草し、大宰府より高麗へ送られた。 この件に関して、朝鮮側の史書『高麗史』『高麗史節要』などには記録はない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「医師招請事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|